読書記録「向日葵の咲かない夏」道尾秀介 | コーヒーを単位に

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完全なる自己満足ブログです。間違ったことも書くかもしれません。話半分に聞いて、いや読んでください。

 向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)/道尾 秀介
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ストーリー

先生に頼まれてミチオは学校を休んだS君の家に出向いた。しかし、インターフォンを押しみるが、誰もいない。カギの開いていたドアからおそるそそる中へ入ると、S君は首をつって死んでいた。
 しかし、ミチオの報告を受けて先生と、警察がS君の家に行くと、そこにはS君の死体はもうなかった。
 死体はどこに行ったのか、S君は殺されたのではないのだろうか。蜘蛛に生まれ変わったS君と妹のミカとともに、事件の真相を暴こうとする。
 異常な性欲を持つ担任、近隣で話題になっている犬猫の惨死体、S君の近所にすむおじいさんが隠そうとするもの。全ての伏線がラストで開かされる。



感想
(ネタばれ含)

一言で言うと後味悪い。そして、世界観が独特かつ怒涛のミスリード攻撃で、一読では理解できない部分が多かった。しかし、2回読む気にはなれない、気味悪くて。

疑問に思ったのが、生まれ変わりが、この世界内では普通なのか、それともミチオと母だけの妄想なのか、ということ、この作品では、様々な生まれ変わりが出てくる:妹=トカゲ(ミチオにとって) 人形(母にとって)、S君=蜘蛛、トコ婆=猫、足折り爺さん=クツワムシ…といった具合に。ただし、話がミチオを中心 に展開するからか、通常の人間(生まれ変わりでない)で、生まかわりについて言及し、信じているのはミチオとミチオの母しかいないように思う。麺 の小父さんが、猫をトコ婆の生まれ変わりだとしているが、決して本心ではなく、トコ婆の死後現れた猫に、親近感を抱いているだけだと僕は思った。また、ミカの生まれ変わりがミチオと母で異なることを考慮すると、この話の世界は実は超自然的なのではなく、精神のイカレたミチオが作り出した世界なのではないか、と思うのだが……あってるのかこの解釈で……
 もう一つの疑問、一番最後の描写は、ミチオは一人生き残った、ということでいいのか?
冒頭で、長い年月が経過してからの事が書いてあるが、あれは、ミチオの異常な精神が治ったからミカが大人になる前に4歳で死んだ、ということなのか?

いろいろ疑問があるから、いつか読み直したいが何時になるやら……
 この本は評価のわかれる本だと思う。ホラーかつ叙述ミステリーの範疇にはいるのだと思うが、異常性欲の担任とか、ミチオの不可解な行動とか、振りかえる とちょっと強引なミスリードがみられるのだ。個人的にはこの小説のラストの衝撃はかなりのもので、この衝撃は、多少強引であってもこれまでのミスリードの蓄積から生まれるものだと思う。したがって、フェアなミステリーを望む人はちょっと抵抗があるのかもしれないが、僕は面白ければどうでもいいタイプなので大いに楽しめた(恐怖した)。


Hisoka