あらゆるサービスは「可処分所得の奪い合い」から始まっています。
 
「可処分所得」というのは、所得から、税金やら社会保険料などを差し引いた「手取り収入(お客さんが自分の意思で自由に使えるお金)」のことです。
それがある時から「可処分時間(お客さんが自由に使える時間)の奪い合い」になったことは、すでにご存知だと思うので、ここの説明はスッ飛ばします。

現在、あらゆるサービスが「お客さんの時間を奪う戦争」に参加していますが、「それ…もう、流行んねーよ」というのが今回の内容です。
怒らずに聞いてください。


【人はなぜ「知っている作品」を観に行くのか?】


昨夜、映画製作チームの皆と次回作について話し合いました。
作品の中身は勿論のこと、「コミック原作やテレビドラマの映画化が全盛の中、“オリジナル作品”を世の中に届ける為にはどうすればいいのか?」というのがメインテーマです。

お腹を痛めて作品を生んだところで、お客さんに観てもらわなければ、その作品は世の中に生まれたことしてカウントされません。
作品を作る作業が「出産」であれば、作品を届ける作業は「育児」であり、「育児放棄」をしてしまう作り手は、作り手として生きていくことはできません。

作者が作品を届ける作業に精を出せば出すほど、一部の人間は、その作者を「商売人」と揶揄しますが、親が命を懸けて守らなければいけないのは「自分の外面」などではありません。
「我が子」です。
僕は(作品の)親なので、泥水をすすってでも、ボロを着てでも、世界から誤解され、時に、殴られてでも、我が子を育てあげます。

 
さて。
 
2016年に出版したビジネス書『魔法のコンパス~道なき道の歩き方~』では、「お客さんは確認作業でしか動かない。現代において『ネタバレ防止』は、まったく逆効果だ」と説きました。
 
「ルーブル美術館の近くに寄った際、なんとなく入館料を払って中に入って『モナリザ』を観る理由は、教科書で『モナリザ』を観たことがあるからだろう?」と。

旅行もそうですね。
人は、テレビかネットかパンフレットで「見たことがある場所」しか、旅行先として選びません。

当時、この本を出版した時(「ネタバレは積極的にやった方がいい」と提案した時)に、「ネタバレをしたら買う理由がなくなるじゃないか!」という反論があったので、絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開して、ヒットさせて、黙っていただきました。

少し手厳しい表現になりますが……