表現活動をしていると「数字が全てではない」という主張をよく耳にします。
皆さんも、一度は聞いたことがあると思います。
最初に耳の痛い話をすると、「『数字が全てじゃない』と主張している方々の多くは、数字で結果を出せない人間である」という事実があります。
「数字が全てではない」としないと、数字で結果を出せない自分を否定してしまうことになるので、自分を守る為の言葉でもあると思います。
踏み込んだ話をする前に、まずは僕のスタンスを明確にしておきます。
僕は「数字で結果が出ている全ての表現が素晴らしい」とは思っていません。
数字で結果が出ている表現活動の中には、素晴らしいものもあるし、クダラナイものもあると思っています。
ただ一つ。
その主張をするからには、「数字で結果が出せる自分になった上で」そういった主張をすることを決めています。
じゃないと、どこまでいっても負け惜しみになるので。
これが僕のスタンスです。
ここを踏まえた上で、話を進めていきます。
側から見ていると、『数字が全じゃない』と主張している方の中には、数字で結果が出ている表現の全てが、あたかも、「お客さんの需要を事前にリサーチして、そこに当てにいくようなマーケティングによって作られた表現である」と整理されている方が少なくないように思いますが、全てが全て、そうとは限らないと思うんです。
他人の話をしたって仕方がないので、自分を例に出すと、たとえばキングコング西野って、世間的には「お客さんの需要を下調べして、そこに当てにいくようなマーケティングによって表現を作っている」と思われていると思うのですが、どうですかね?
もしも、キングコング西野が、お客さんの需要を下調べして、そこに当てにいくようなマーケティングによって表現を作っている人間ならば、10年以上前に「ひな段」を辞めていません。
当時、お客さんの需要は「ひな段」にあったのだから。
もしも、キングコング西野が、お客さんの需要を下調べして、そこに当てにいくようなマーケティングによって表現を作っている人間ならば、絵本作家に転職せずに、『爆笑レッドカーペット』に出る努力をしています。
お客さんの需要は『爆笑レッドカーペット』にあったし、絵本なんて流行ってもいなかったのだから。
もしも、キングコング西野が、お客さんの需要を下調べして、そこに当てにいくようなマーケティングによって表現を作っている人間ならば、4年も5年も前に「オンラインサロン」なんて始めていません。
4〜5年前に「オンラインサロン」の存在を知っていた人、どれだけいました?
これを言うと驚かれるんですが、僕、世間の流行りとか1ミリも興味がないんです。
心の底から、どうだっていいと思っている人間です。
世間の「需要」をリサーチして、そこに自分を当てハメていく気なんてサラサラありません。
デビュー当時から僕がやっていることは一つで、「世間の需要の首根っこを掴んで、『僕がやりたいこと』の前に置く」という力技です。
正解なんて選んでないです。
僕が選んだものを、ものすごい腕力とワガママで正解にしています。
もちろん、上手くいかないことも多々ありますが。
「マーケティング」というものの取り扱い方って二つあって、一つは「マーケティングによって、作品を作る」だと思います。
たとえば、「イケメン俳優を積もれるだけ積もって、恋愛シーンを入れて…」を前提に、台本を書き進めていくような。
もう一つは、「誰にも忖度せずに作った作品を、マーケティングによって届ける」です。
『えんとつ町のプペル』なんて、そもそも「えんとつ町」の需要なんて1ミリもないし、イケメンは一人も出てこないし、女子がドキドキするような恋愛シーンなんて1秒もないし、「ゴミ人間」なんて誰も待っていない。
「そういう歪なものを届ける為にはどうすればいいか?」というところに、マーケティングを用いる。
どちらも「モノづくり」の現場にマーケティングを持ち込んでいるんだけど、
「マーケティングによって作られたモノ」と、
「マーケティングによって届けられたモノ」、
この二つは似て非なるものだと思います。
数字で結果が出ているもの全てを「マーケティングによって作られたモノ」としてしまうのは、分け方が雑だなぁと思うんです。
しかし、先ほども申し上げたとおり、「マーケティングによって作られたモノ」としてしまわないと、自我が崩壊してしまう、という気持ちは超わかるんです。
表現活動は自分のメンタルが全てで、そこが死んでしまうと、もう何も生み出せなくなるから、「仮想敵を作って、それを松葉杖にして歩く」という歩き方もアリなのかもしれません。
ただ一つ。
これは、どちらかというと、僕よりも後輩にお伝えしたいのですが、今後、「数字が全てじゃない」と思うような場面に多々遭遇すると思うんです。
場合によっては、数字で結果が出せない自分をこれ以上傷つけない為に、そういった主張を持ってしまうこともあるかもしれない。
言い訳ができない世界って苦しすぎるから、時には、そういった言い訳を持ち、現実から目を背けて、歩む時間帯があってもいいと思います。
ただ……
「数字が全てじゃない、か否か」は自分が勝手に思っておけばいいんのですが、一つ確かなことは、「数字で結果を出さなかったら、お前が守りたいモノは守れないぞ」ということです。
あなたには表現したことがあって、その表現を届ける為に少なからず、あなたに時間を割いてくださった方がいる。
スタッフさんだったり、ファンの方だったり。。
もちろん、そのスタッフさんには、スタッフさんの生活があって、場合によってはスタッフさんの奥さんとお子さんの生活もある。
ファンの方にも勿論、生活がある。
たくさんある表現の中から、まだ何者でもない自分ごときを選んでくださって、場合によっては「なんで、そんなヤツを応援してるの?」と周囲から揶揄されながらも、自分に時間を使ってくださって、場合によっては、アルバイトで必死に貯めたお金を自分に使ってくれている。
表現活動を一度始めた以上、もう、とっくに自分一人の人生じゃない。
結果を出さなかったら、活動が止まってしまい、その瞬間に、巻き込んでしまった人達が背負ってくれている痛みが全て無駄になるわけですが、それを踏まえた上で「数字なんてどうだっていい」と言えるなら言ってみろ、と。
お前、そういった痛みの類を想像していないだろ?
だから、お前は弱い。
だから、そんなことが言えてしまう。
僕は言えないです。
日本だと、「キングコング西野を応援している」というだけで今も白い目で見られることがあって、僕のスタッフや、ファンの方は、そこを背負ってくださっているんで、とてもじゃないですけど、そんなことは言えません。
一方で、彼らは「世間の需要をリサーチして、そこに合わせて球を投げてしまうキングコング西野」なんて1ミリも求めていないので、まずは世間の需要なんて大無視して、僕は僕のやりたいことをフルスロットルでやりきって、そのあと、ドブ板営業で頭を下げまくって、どうにかこうにか届けて、数字で結果を出します。
キミはどうだ?
今日は「表現活動を選んだ時点で、お前一人の人生じゃないぞ」という話をさせていただきました。
西野亮廣(キングコング)
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