1999年4月に吉本興業の養成所の門を叩き、8月に梶原と出会った。
9月に『キングコング』を結成し、その4か月後には『NHK上方漫才コンテスト』で大賞をいただいた。

プロになる前。
まだまだ養成所の生徒だ。
下積みも、ネタのストックもありゃしない。
お互いのこともまだよく分かっちゃいない。
右も左も分からない…という状況。

ここが、もう後戻りができない世界だと知ったのは、僕らが何の武器も持たないまま戦場に出てしまった後だった。

「鳴り物入りのスーパールーキー」としてスタートを切ったものの、世間の評判に実力が追いついていないことぐらい自分達が一番分かっている。
それでも僕らは誰よりも売れた。

好奇の目に晒され続けた。
妬みや僻みを浴び続けた。
嫌がらせも続いた。
どれだけ頑張っても実力が追いつかない。
梶原の10円ハゲは増え続け、
精神が破壊されるほどのバッシングを浴び続け、結局、精神が破壊されて、梶原が失踪した。
自殺の可能性も十分にあった。
一夜にして全ての仕事が無くなり、「ざまあみろ」と笑われた。

いつ戻ってくるかも分からない、もう戻ってこないかもしれない梶原を、ひたすら待ち続けた。
活動休止中に観たテレビの画面が明るさが余計に傷口をえぐった。


こうして、新人時代を振り替えるとロクな思い出がないな。
梶原が失踪した時に、「梶原の頭がおかしくなっちゃったんです」とマネージャーに伝えたら、「頭がおかしいのは、この状況で頭がおかしくなっていないオマエの方だよ」とマネージャーが泣いていた。
地獄だよ、まったく。


ときどき、梶原と出会っていなかった人生を想像する。

もしかしたら、結婚していたかもしれない。
子供がいたかもしれない。
休みの日には家族でキャンプに行っていたかもしれない。
夏休みは家族でプールに行っていたかもしれない。
お正月は家族でテレビを観ながら、おせち料理を食べていたかもしれない。
睡眠時間が十分にとれていたかもしれない。
地元の仲間と酒を呑みながら、家庭の悩みを共有できていたかもしれない。
犬を飼っていたかもしれない。
クリスマスは子供の為にサンタクロースになっていたかもしれない。

あげていけばキリがない。
諦めた幸せは山ほどある。

しかし、
梶原と出会い、コンビを結成したことを後悔したことなど、これまで一度も無い。
解散を考えたことも一度もない。
19年間で、ただの一度もだ。

僕に、たくさんの夢を見させてくれて、
そして今も夢を見させてくれているのは梶原で、
梶原が僕をここまで連れてきてくれた。

そろそろ御礼の一つでもしとかなきゃバチがあたりそうなので、彼のYouTubeチャンネルにお邪魔させていただきました。
んでもって、かなり照れ臭いけど、当時の話をさせていただきました。

YouTubeのチャンネル登録者数が90万人を突破したんだってさ(芸人さんの中では日本一なのかな?)。
この結果を、日本中の誰よりも喜んでいるのは僕だと思います。

皆様、本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
少し長い動画ですが、もしよかったら御覧ください。
チャンネル登録、宜しくお願い致します。

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今日は『来年公開のキンコン西野の最新作の裏側』というテーマでコラムを書かせていただいております。
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