「僕は日本を諦めません」

僕たち日本人はどう生きるか?


先日、フィリピンにある東洋最大のスラム街『トンド地区』に行ってまいりました。
僕らは世界に届けるエンタメを作っているので、世界のことを知りたかったからです。

「東洋最大のスラム街」と呼ばれた町は元気な子供達で溢れ、これから絵本をプレゼントすることを説明した途端に、たくさんの子供が猛スピードで集まってきました。


そこで、「エンタメが不足すると麻薬に走ってしまう」という話を聞きました。
その言葉は、スラム街に住む子供達へのエンタメ支援を継続的にやることを決めたキッカケとなり、『西野亮廣エンタメ研究所』では来月から子供達への継続的な支援をスタートさせます。

「自分の絵本の宣伝だろ!」と突っ込まれるかもしれませんが、自分の絵本の宣伝として「宣伝費」から活動費を捻出しないと、継続的な支援ができなくなってしまうので、「自分の絵本の宣伝です」と返して、支援を続けていきます。

僕は立派な教育者でも何でもない河原乞食ですから、あまり生意気なことは言えませんが、それでも世界を回って確認したのは、「夢中になっている時の目は日本人も外国人も変わらない」という現実です。



これら何も子供だけに限った話ではなく、大人も同じで、ひとつの目標に向かって一心不乱になって走る大人は「よそ見」をしません。

多くの現代日本人が風紀委員のようになり、自分の人生とはまったく関係のない他人の人生に口を挟み、清廉潔白、品行方正を求め、ずいぶん窮屈な世界になってしまったのは、「一人一人が夢中になれるものを見失ってしまったこと」が原因にあるように思います

今の日本に圧倒的に不足しているものは「希望」で、「希望」を失うと不安定になります。

頑張れば頑張るほど給料が上がり、
頑張れば頑張るほど世界ランキングを上げられた頃の日本は今はもう消えてしまって、
「頑張っても無駄だ」「俺も諦めたんだから、お前も諦めろよ」という病が蔓延しています。

この国では、「明るい未来」を信じられなくなってきていて、そこにはまるで現実味がなく、ファンタジー(幻想)になりつつあります。
「頑張っても報われない」という現実を何度も何度も突きつけられたからだと思います。
絶望しちゃったのだと思います。

気持ちは分かりますが、…ですが、ひとつだけ思うことがあります。

それは、『報われる頑張り方が変わった』ということです。

高度成長期というは「正解のある問題」を解く季節で、その問題というは『暗記』と『反復訓練』で突破できるものでした。
正解の「頑張り方」があって、その頑張り方どおりに頑張れば頑張るほど結果が出る季節でした。

ところが、時代は成熟期に入り、正解は一つではなくなり、それまでの頑張り方がまったく通用しなくなりました。
にも関わらず、高度成長期時代の正解の頑張り方で頑張り続ける人が後を絶たず、「これだけ頑張っているのに、なんで報われないんだ」という目に遭い、そんなことを何年も続けていくうちに、この国は「頑張っても無駄だ」という病にかかり、今、『希望』を見失いつつあります。


努力が報われないんじゃなくて、
報われる努力が変わっただけで、
人々が「努力が報われる世界」や「明るい未来」や「希望」の類いを『ファンタジー(幻想)』とするのなら、だったら僕は、皆さんの目の前でファンタジーをお見せします。


僕は日本を諦めません。
まだ「決着がついた」とは思っていません。
僕は日本を諦めません。


僕が「ディズニーを超える」と言った時に、
日本国民全員が「できるわけがない」と笑いましたが、賭けましょうよ。

僕が負けたら一生この恥を背負って、一生「ほらな。無理だったろ?」と鼻で笑われ続けて、生きていきます。

僕が勝ったら、べつに何も要りません。
その頃には、たぶん、今よりも少しは「希望」が持てる国になっていると思うので、僕の望みは十分叶っています。

僕には才能がありません。
もしかすると、僕と一緒に頑張ってくれている僕の友人やスタッフにも才能はないのかもしれません。
ひとつ確かなことは、皆、努力をしています。

毎晩遅くまで、眠い目をこすりながら、エンターテイメントを作っています。
僕らは「希望」から目を背けません。
僕らは、とびっきりのファンタジーを、努力の積み重ねで実現させます。
「努力が報われる世界」を必ず届けます。


新作個展『チックタック ~光る絵本と光る満願寺展~』、いよいよ明日スタート。

以上、強烈なステマでした。


西野亮廣







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