西野亮廣が「手に入れたモノ」と「失ったモノ」


キングコング西野亮廣が『オンリーワン』になる為に仕掛けたこととは!?



「憧れている芸人を一人だけ挙げろ」と言われたならば、僕は迷わず「立川志の輔」と答えます。

過去、こんなにも僕の胸をザワつかせてくれた芸人さんは志の輔師匠以外にはいなくて、初めて志の輔師匠の落語を生で聴きにいった日のことを今でも鮮明に覚えています。

渋谷のパルコ劇場で1ヶ月間開催されていた『志の輔らくご』の二日目の終演後。
志の輔師匠の背中は遥か彼方にあって、何をどうすれば、あの域に行けるのかが皆目見当がつきませんでした。

公演内容は勿論のこと、1ヶ月間のパルコ劇場を満員にいる全てのお客さんが志の輔師匠を目当てに来ていて、全てのスタッフさんが志の輔師匠の為に動いている。
比べて僕は、「売れっ子タレント」を気取りながら、たしかにテレビに出ているし、スケジュールも真っ黒に埋まってはいるのですが、スケジュール表をよくよく見ると『仮スケジュール』とあります。

仮スケジュールというのは、番組側の「一応、押さえさせてください(バラシになる可能性もあります)」というもの。
企画が変更したり、別の(僕よりも、もっとイイ)ゲストが決まれば、仮スケジュールは直前でバラシになります。

つまり、西野亮廣じゃなくても構わない仕事で、西野亮廣のスケジュールが仮で押さえられていたわけですね。

これだと僕の人生のハンドルをテレビ局が握っている状態ですから、テレビ局以上の存在にはなれません。
この中で活動している限り、自分は何者にもなれずに終わってしまうような気がして、

また、

ちょうど今の活動に限界を感じていた頃(この数週間後にテレビの世界から軸足を抜いて、絵本作家になります)だったので、パルコ劇場の帰り道にマネージャーに連絡をして、今後の「仮スケジュール」のお仕事は全てお断りすることに決めました。
25歳の頃のお話です。


そんな使い勝手の悪いタレントなので、当然、仕事のオファーは減るのですが、そのことによって、「この状態で仕事を増やすには?」という切り替えができて、「仕事のオファーを待つのではなく、自分で仕事を作ればいいんだ」という結論し、今の活動に至ります。

自分で言うのも気持ちの悪い話ですが、あれから何年も経って、どうにかこうにか『替えがきかない人材』になることができました。

何が言いたいかというと、自然の流れで『替えがきかない人材』になったのではなく、まずは『替えがきかない人材にならざるをえない環境』を強制的に作って、そこから帳尻を合わせにいったよ……という話です。

今、『株式会社にしのあきひろ』という会社で、『西野亮廣エンタメ研究所』というオンラインサロンを運営していて、そのオンラインサロンの売り上げを全額エンターテイメントに投資しています。
新作の絵本の制作費や、海外の個展の開催費や、美術館の建設費などなど。



僕のアイデアを形にしてくださる大勢のスタッフさんがいて、僕の御輿を担いでくださる大勢のスタッフさんがいて、僕に会いに来てくださる大勢のお客さんがいます。
本当にありがたいです。

願っていた状況ではあるのですが、なってみたらなってみたで、相応のプレッシャーがありまして……僕が止まってしまったら全ての機能が止まってしまうので、万が一のことを考えて『車の運転』を辞めるのも僕の仕事ですし、健康であり続けるのも僕の仕事となりました。

「最近、体調を崩しまして…」が許されない人生です。質量(幸福量)保存の法則ですね。

そんなこんなで、昨日、人間ドッグに行ってきました。
10年後も20年後もエンターテイメントに魂を売り続けられるように、健康でいようと思います。

明日は宮崎に飛びます。
夜は多分、宮崎在住のサロンメンバーと呑みに行きます。お酒はほどほどに。

宮崎の皆様、宜しくお願い致します。




【オンラインサロン】
毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
んでもって、ビジネス書に掲載するレベルの記事を毎朝投稿しています。
今朝は「コミュニティーの均衡点」というテーマで記事を投稿させてもらっています。
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