ここ2日ほど、オンラインサロンの話題が続いているのにはワケがありまして、まぁ、ザックリと言っちゃうと、オンラインサロンの中で、僕の人生を丸ごと賭けた勝負を発表したんです。




命を捧げるような勝負は過去何度かありました。

これまでで一番大きかったのは、25歳の時です。
『はねるのトびら』がゴールデンに進出して、各局で冠番組をいただいて、端から見れば順風満帆であったそのタイミングで、全員の反対を押しきって、テレビから軸足を抜き、絵本制作をスタートさせた、あの日。

『ひな段』だけでなく、『グルメ番組』『クイズ番組』『情報番組』には基本出演しないことを決め、仕事の9割を失いました。
仕事も収入も、そして人も離れていきました。

一方で、「それでも生きよう」というバイアスがかかって、変な能力がニョキニョキと伸びて、25歳のあの日に失ったモノとは、また別のモノが手元に入ってきました。

結果、今はテレビとも本当に良い距離感でやれるようになり、さらには事務所とも本当に良い距離感で付き合えるようになりました。

捨てたことで得たものが本当に大きくて、「何かを始めたければ、何かを捨てろ」という考えが、その時に生まれました。

あれから時は流れて、今です。

もうすでにお気づきかもしれませんが、
アンチ西野がどれだけ騒いで、
ネットニュースが記事を切り取ってどれだけネガティブキャンペーンをして僕の好感度を下げにかかろうが、
そもそも僕は好感度の有無で生きているタイプのタレントではないので、まったくもって僕へのダメージに繋がっていません。

ネガティブキャンペーンが流れる度に「ああ、これで、また西野がオイシクなるな」と、もう世間には見破られていると思います。

ネガティブキャンペーンに対して、「やめてよ~」とか「僕、本当に嫌われてるんですぅ~」とリアクションするのが、もう嘘臭く(古くさく)なってきていて、「いやいや、お前、オイシイと思ってんだろ」という見られ方をし始めている。
これが今のリアルだと思います。

こうなってくると、自分自身に対して、「そんな(ぬるい勝ちパターンに入っている)ヤツを誰が応援するんだよ」という気持ちが沸々と芽生えてきて、また、25歳の時のように死にかけたくなり(捨てたくなり)まして、この度、とんでもねー決断をしたわけです。

「もがかないと死ぬ」というところに、この身を放り込んでみたわけですね。

決めたのは一昨日のことですから、まだまだ絶好調に死にかけているのですが、そんな状況ですから、一歩一歩に「あ。まだ生きている」ということが実感できて、『生きる』というのは、きっと、こういうことなんだろうな、と思いました。

語弊を恐れずに言わせていただくと、
「たしかにお前は死んでないけど、生きてもいないからな。生きているように誤魔化しているだけだ」
といったところです。

死にかけるてみると(溺れかけてみると)見えてくるものがあります。
それは、これまでに築いた自分の信用です。
溺れかけている自分に手を差しのべてくれる人が、いるのか、それとも1人もいないのか、という
残酷すぎる信用のリトマス紙ですね。

この結果を見たくない人は、きっとたくさんいると思うのですが、ただ、これからの時代(信用経済)は、ここから目を背けちゃダメで、
手を差しのべてくれる人が1人もいない場合は、「では、何故、自分には手を差しのべてくれる人がいないのだろう?」「だったら、何をすればいいのだろう?」という計画・実行・評価・改善を繰り返し繰り返し繰り返すことが、最大の前進だと思います。

死にかけてみて、手を差しのべてくれる人がいるかいないかを確かめる。
手を差しのべてくれる人があなければ、手を差しのべてくれる人が生まれるように活動を見直した方がいいし、
手を差しのべてくれる人がいれば、
次は、手を差しのべてくれる人同士の横の繋がりを作る……つまり、「コミュニティ作り」という次の段階に入る。
この時代の生き方は、これに尽きますね。

今回の発表で、僕のオンラインサロンはどえらいことになっています。

「僕が生け贄になって、3700人のサロンメンバーがどうにかする。まだ具体的な解決策は出ていないけど」といった構図です。

深夜4時半に書いているブログなので、完全に深夜テンションになっちゃっていますが、今回の決断で、僕は今、「生きている」ということを腹の底から実感できています。
あなたはどうですか?
生きてますか?
この問いに対して少しでも「うーん…」となったならば、僕からアドバイスできることは一つだけです。

「死にかけろ。話はそれからだ」


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