絵本『えんとつ町のプペル』を無料公開した時に、日本中のクリエイターや、そのファンから大バッシングを浴びた。
「価値あるものを無料にしてしまうと、クリエイターが食いっぱぐれるじゃないか」という言い分だ。

スマホネイティブ世代からすると、情報コンテンツは『無料』が常識なので、無料化の波はもう止められない。
「正しい・正しくない」の議論ではなく、この波は確実にやってくるので「その上で、どうする?」という話だ。
津波に向かって「津波は間違っている!」と叫んでも誰も助からない。
クリエイターが次に辿りつかなければならないのは、情報コンテンツの無料を前提とした収益モデルの構築で、この変化を拒んだ者から滅びていく。

マネタイズのポイントは時代(テクノロジー)によって変化していく。
「お金はこのタイミングでいただくものだ!」という決めつけは、思考停止そのもので、お金の奴隷に他ならない。
10年前の常識がそのまま現代に適用されるとは限らないので、クリエイターは常に疑い続けなければならない。
考え、実践し続けなければならない。

LIVEで例えるなら、入場料をとる時代は終わり、S席のチケット代のみでLIVEを運営する時代が来る。A席、B席は無料だ。

『漫画村』の問題は象徴的だ。
こんな波が来ることをとっくの昔から分かっていたクリエイターはラクラク乗り越えているが、「無料は良くない!絶対反対!」と一心不乱に叫び続けたクリエイターが見事に飲み込まれている。
これから更に加速するだろう。

ネットに疎いオジサンオバサンに限って、「ネットリテラシー」という言葉を多用し、モラルに訴えかけて問題を解決をしようとする。インターネットの実態がまるで見えていない。
ついには、「無料はよくない!」というメッセージを無料アプリの『Twitter』で呟く始末。正気かよ。

個人的に、面識がないクリエイターであろうと、食いっぱぐれている姿は見たくない。
モノ作りを生業としている人達を徹底的に後押しをしたい。
作品を生む痛みを僕は知っているので。

その為に、僕が知っている情報はすべて共有しているつもりだが、どうしても届かない層がある。
生き延びて欲しいので、なるべくなら話を聞いてもらいたいのだけれど、「キングコング西野は信用できない」という人がいて当然だ。
僕はとても嫌われている。
そこは、もう少し頑張ります。

ただ​​​​一つ確かなことは、「理解できないモノを否定すると自分の寿命が縮まる」ということだ。

去年、『えんとつ町のプペル』の無料公開を大声で批判した人達は、まもなく、かなり厳しい状況がやってくる。
批判した手前、今さら、自分の作品を無料化するわけにもいかず、しかし、自分の周りの作品はどんどん無料化され、無料を前提とした新しい収益モデルを構築していく。
それを横目にみるばかりで、身動きがとれない。
やれる活動といえば、またしてもモラルに訴えかける無料化反対運動。死ぬぞ、本当に。

具体的に言うと、無料による収益化の目処が立ち、それによってギャラが支払われる時だ。
どうする?
ギャラを突き返し、「価値あるものを無料にしてしまうと、クリエイターが食いっぱぐれるじゃないか!」と他人を批判したように、自分が携わった作品や、その監督やプロデューサーを大声で批判してみるか?
そんなことをすると、次の仕事が振られなくなり、それこそ食いっぱぐれてしまう。

 
僕は芸人をやったり、絵本作家をやったりしつつ、Webサービスを作ったり、会社を経営していたりするので、モノ作りとテクノロジーとお金の流れに関しては、まぁ、そこそこ敏感だ。
四六時中、エンタメビジネスのことを考えて、エンタメの届け方に関しては、日本で一番実践している人間だと思う。
一応、ビジネス書のベストセラー作家なんかもやっている。
これは専門分野の問題なので、「理解できているから偉い、理解できないヤツはバカ」という話じゃない。

バカは、「理解できないモノを脊髄反射的に批判するヤツ」だ。

悪いことは言わないから、いいかげんやめた方がいい。

とにかく、現代エンタメのアレやコレに関しては、毎日、僕のオンラインサロンで勉強会をしているので、興味があれば是非。
以上、オンラインサロンのステマでした。