年末にレターポットをリリースしてからというもの、まるで寝れやしない。
産まれたばかりの我が子が人様に迷惑をかけていないか、はたまた息を止めていないか。

そんなことが気になって、四六時中、レターポットの画面とレターポットのユーザーの動向を眺め、もうかれこれ2週間になる。

それは『言葉』と向き合う時間でもあった。


37年の人生で、ここまで他人の文字に付き合ったのは初めてだ。
そして、書籍の執筆以外で、ここまで慎重に他人に贈る文字を選んだのも初めてかもしれない。


時を同じくして、

それぞれ別の友人から、その友人の友人が重い病と闘っていることを聞かされた。
急性白血病と末期ガンだった。

余命を宣告された彼らはまだ30代で、そのうち一人には妻子がいた。

僕の友人は、「自分の友人にこういう男がいる」ということを伝えたかったのか、余命宣告された彼らがアップしたFacebookの記事や、彼らの肉声を送ってくれた。

そこで目の当たりにした
彼らが綴った文章のいちいちが、
彼らが選んだ言葉のいちいちが、

美しいのだ。


そこに怯えや迷いなどは見あたらなかった。

脇目も振らず
ただ、伝えたいことを、
今、伝えなければならないことを、
使わなければならない言葉を、
使わなくてもいい言葉を、
彼らは丁寧に選んでいた。


その言葉の羅列は背筋が凍るほどの鋭さと、美しさで、「友人の友人」という、もはや知り合いでも何でもない人間の胸を貫いた。


彼らは生きることをまるで諦めちゃいないが、しかし、最悪のことも覚悟している。
自分が使える文字が、あと僅かかもしれないことを知っているのだ。

彼らが選んだ言葉を前にすると、
自分が日頃、いかに不用意に言葉を選んでいるかを知る。

レターポットをスタートさせて2週間。
僕のもとには1万件近くのレターが届いたが、驚いたことに誹謗中傷は一件もない。
このインターネットの世界で、ただの一件も誹謗中傷がないのだ。

そこで知ったのは、

使える文字数に制限があると、わざわざ僕らは誰かを傷つけるようなことに、残された文字を割かないということだ。

残された文字は、大切な人に使うということだ。


元来、言葉は美しい。
言葉を汚している原因は、『文字』が無尽蔵に採掘できてしまうことと、そこからくる僕らの甘えだと知った。

もしも言葉が消えるのなら、
もしも使える文字が今夜無くなってしまうのなら、
僕は誰に文字を使うだろう?
昨日、選んだ言葉は合っていたのかな?

レターポットを使うようになってから、そんなことを考えるようになった。




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