1995.1.17 5:46

阪神淡路大震災から24年。




私は阪神淡路大震災の年に生まれた子です



生後1ヶ月だったのでもちろんなにも記憶はないです



でも、"震災の年に生まれた子"
だったので私たちの学年は小学生の頃から
道徳の授業などで阪神淡路大震災について
勉強することが他の学年より多かったです


阪神淡路大震災 という言葉すら
知らない子たちがいると思う。


あ〜〜〜、そういえば今日かあ〜
くらいの人達の方が多いだろう。




24年も前の事。
仕方がないと思う。



でも、忘れられていい過去ではない



もちろん私は死体を目の当たりに
したことなんてない。


死体を目の当たりにするなんてこと、
普通に過ごしていればきっと今後もないだろう



でも私のお父さん、お母さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、、、



あの当時を知っている人たちは
死体を目の当たりにするどころか、
家族 や親戚、友達という大切な人の死体を
目の当たりにしている。



消防士さんの人手も足りず、
父は見知らぬ人の死体を運んだって言っていた





他にも色々書きたいことはあるけれど、
そんな地獄の様な景色が広がり
悲しみで包まれた神戸の街があったこと


私たちより後に生まれた子たちではなく、
その当時、生きていた私たちが
未来へ語り継いていかなければいけないと思う



それが私たち震災を経験した人達の
やるべき事なんじゃないかな、と。







私はチャリティーライブがしたいって
ずっと言ってるけど、
もし私が今すでに有名だったら
今日チャリティーライブをして生まれ育った神戸に
寄付できるのにな。とか、
ルミナリエの存続に少しでも貢献できるのにな。
って、もどかしくてたまらない。






今の私に出来る事なんてほぼないけど、
この仕事をしているからこそできること。

SNSを通じて、少しでも多くの人に
阪神淡路大震災 を思い出して、
今日という日を大切に生きてもらえることが
出来ればそれだけでも違うかなって。





そして、生後1ヶ月の私を
守ってくれた両親に感謝します。







そして私は今日も笑顔で楽しく、
生きようと思います^ ^






しあわせ運べるように

地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように




kyoko.