「 ロールスロイスのコメットって言ったら、まだ日本にも来て居ないのよ。其れのテスト飛行に切符が取れたってウソなんでしょう。」

   「 ホントよ。切符が取れたのとは違うけど、オーストラリア外務省の人が来て商業路線のテスト飛行に乗りませんかって来たのよ。

          何よ、其の疑いの目は。

     決まってるでしょう。何方かがマリーを指名して来たのに。だったら招待に乗るのが礼儀って物でしょう。」


    此れって難しい話なのよ。幾ら気を付けても自慢が絡むでしょう。でも、岩崎弥太郎さんを知らなくても好いけど、

          なんでニガーのマリーが、まだ営業として飛んで居ないロールスロイス社のコメットに、其れも指名で招待された謂れをチャンと知っといて貰わなければ成らなかったのよ。

          マリーが特別扱いされのでは無かったのね。何方の招待かは知らなくても、ロールスロイス社が特別扱いし無ければ成らないお偉いさんの招待だったのですもの。

     まだ、大型のジェット機が飛んで居ない時でしたから、絶対安全なフライトの保証なんか無かったのよ。楠さんはオーストラリア外務省に任せて、荷物と言ってもハンドバッグ一つでコメットに飛び乗ったのよ。

          此処まではまだ売って居ない根津で10人プラス楠さんに話しましたのよ。

          此の先は珠樹とお喋りして、ハンドバックに星のマークのカードを終った所からに成りますのよ。混乱なさっても何も存じませんのよ。好い加減で柔らかいバルセロナが始まりますのよ。



    1958年よ。オーストラリアが独立したのはまだ50年前だったのよ。其れも GB の自治領として認められただけだったのね。でも君主国のグレート・ブリテンとは航空路線が開発されてたのよ。

          絶好の飛行日和でしたので、3000メーターでインド洋をひとっ飛びしてアラビア海のムンバイ (ボンベイ) に給油で着陸しましたの。  

          此のコースは何度かは飛んでたけど、全部払い下げの軍用機の改造機だったから暖房も無くて何時もボンベーで一泊して居たのよ。其れがバスより快適な空調が効いてて、3時間で着いたんですもの。バスガールこそ居なかったけど、若いウエイターが来て、

      アルプス越えに成りますから1万メーターの飛行に成ります。3時間でヒースロー空港に到着しますから、お飲み物でお寛ぎください。

      だったのよ。夢の世界を飛んでヒースロー空港に着陸したのよ。何時ものプロペラ機だったらセダンと同じくらいのスピードで着陸して、300メーターも走らないで停まるでしょう。其れが長い滑走路を一杯に走ってやっと停まったんですもの。



      何とも、もどかしかったのよ。やっとエプロンに着いたら、隣にオンボロのDC8が停まってたのよ。

           タラップの下で待ってた振り袖姿の女性がハイヒールを蹴飛ばして抱き付いて来たんですもの。

      其れが畠山珠樹さんだったのね。

   「 会いたかったわ。」

      と言われても、女ですものお腹を庇ってるのが判りましたのよ。でも綺麗な日本語でしょう。楠さんや功とは違うハイトーンの標準語に思わず泣いちゃいましたのよ。

   「 マリー・ストラスベッーカーだな。挨拶代りに此れを受け取って呉れ。」

      と、渡されたのが星のマークが付いたルクセンブルグのユダヤバンクのキャッシュカードだったのよ。

      あら、アメリカにも同じカードが有りますのよ。でも銀行法の除外に成ってますから、キャッシュカードとは違いますのよ。渡されたカードとお付きの大男を半々に見て居ましたら

    「 旦那よ、岩崎弥太郎はご存じでしょう。」

      と言われたって、何処から見ても二十代の青年なんですもの。

    「 驚いたでしょう。もう実家の畠山姓に換わってますのよ。珠樹には今のままで居て欲しいのよ。だってパパに成るんですもの。」

      何も言えませんでしたの。其のままオンボロDCに乗り換えてバルセロナに飛びましたの。

      飛行機の中でお喋りが止まらなかったんですのよ。弥太郎さんが汗を拭いたり、お飲み物を差し上げるのを見て、マリーのお役目を悟りましたのよ。

          忘れかけてたハーバードでしっかり受け止めてね。