彼が何を仰りたいのか、お判りには成らないでしょうね。
判らないでしょう―――って単純に言わないのは、複雑な60年の昔を珠樹に吐き出そうと為さいましたのよ。
珠樹は単純すぎる17年で、母と二人で向かい合った人生を言いましたのよ。彼は大勢の人たちの中で、1人としてお仲間を作らずに嵐の中を泳ぎ抜いたのを仰りたいのですのね。今初めて仲間の娘と向かい合って話す気に成りましたのね。
此れがアレッサンドラホテルの明け渡した窓に並んだ気持ちでしたのよ。私は無言の中で大人になろうとして居ましたのよ。彼は喧騒の中で自分を見詰めて、母が辿ったのと同じ道に踏み出そうとして居ましたのね。
夫々に違う道を歩いて来ましたのが、柳橋のお玄関でばったり向き合っちゃいましたのね。
「 今に成ってやっと並んだ気がしますのよ。」
「 俺も同じなんだ。
何もかも知らない二人だったろう。お前にすがる気で高輪に連れて来たのさ。其れがお母上に俺を重ねて見えたんだ。
何とは無くお前が預けられたような気がしたのさ。
将に無言の対面だったな。母上のキッと結んだ唇が俺に無言で何かを訴えて居ると想わせたんだ。
キレイと言うよりは荘厳なお顔だったな。
真一文字に結んだ唇が、何も聴くな、何も言うなと訴えて居る様に感じたんだ。
まさかお前の亭主に成ろうとはな。少しずつ引き寄せられる6年だったな。
何とか俺の女に成って呉れればの6年だったな。いや、歳の差を想う毎日だったのさ。其れが食べる物から立ちションまでお前に倣い始めてから、脳みその髄までお前と並ぼうとしたのさ。いや、愉快とも苦しいとも言えない365日だったな。全く知らない世界に踏み込んだ気持だったのさ。」
「 そうなのね。来て三日目に高輪の森に連れて行って下さったでしょう。まだ貴男は高輪のお屋敷の管理人だと思ってましたのよ。怒らないで聞いて下さいな。」
「 怒るも何も、予想が着かない娘だったのさ。食う物と言ったら朝の粗末な焼き魚だけだろう。味噌汁にも手を付けずに器用に魚を食うだろう。挙句の果ては骨をしゃぶって居るのさ。昼も晩飯も水を飲むだけだったな。やっとの思いで抱いて味噌汁を飲ませたのが忘れられないんだ。」
「 そうでしたのよ。抱き寄せられたでしょう。
此れから母と同じにされるのだって目を閉じましたのよ。そしたら熱いお口が近付いて来て、お味噌汁が注がれたでしょう。まだ儀式だとしか思えませんでしたのよ。お嫁さんの三々九度は聞いて居ましたので、三回注がれるのを飲み込むのが精一杯でしたのよ。
あれが、おみおつけを知った初めでしたのよ。」
「 いや、何とも恥ずかしいな。娘の唇があれ程柔らかいとは知らなかったんだ。
三日目に成って初めて交わした言葉を覚えて居るか。"もっと"だったな。其れで嫌われて居ないのを知ったのさ。
だから部屋を出て森に連れて行ったんだ。娘があんなに興奮するとは思わなかったんだ。俺の周りを飛び跳ねて何かを口ずさんで居ただろう。水筒のコーヒーを飲ませようとしたら、目を閉じて待って居ただろう。
晩飯を食って呉れるのならに、
同じにして呉れるのならが二人の決まり事に成ったのだったな。
アレはキスでは無かったのさ。赤ん坊に食わせて居る内に、何となく父親から青年に成らなければに変わって行ったのさ。」
「 従わなければが少しずつ私の言い成りに成るのが判って来ましたのよ。生まれて初めて肌でお話が出来るのを感じましたの。
ヘンでしたのよ。朝はチャンと向き合ってのお食事でしたでしょう。柳橋から戻ると帝国ホテルのお嬢さんが接待について下さるでしょう。貴男が呼んだ様な気に成ってお膝に座って仕舞いましたのね。何時の間にか貴男と二人に成りましたのが夜のお勤めの始まりでしたのね。」
「 そうだったな。すっかりお前に呑み込まれて居たのさ。いや、呑まれる喜びで震える毎日だったな。もう何もかも忘れてお前一筋だったのさ。執事の権藤が居なかったらお前を絞め殺して居たかも知れなかったな。」
其れは感じて居ましたのよ。凄い気迫で私を吸い取ろうと為さって居たのをね。