「 聖心に入れて頂いて感謝して居ますのよ。」

   「 其う取って呉れると嬉しいな。二人の執事にも相談はしたのさ。男だったら一も二も無く東大なんだな。旧制のハイスクールなら例えば静高からでも東大に行けたんだ。帝国大学はイギリスの制度を真似て、ハイスクールを人間形成の予備校と意義付けて居たのさ。ところが女性だと殆んどがカレッジ並みの単科大学だったのさ。料理・裁縫の家政科も有れば、語学だけの和英だとか大妻の様に外交官夫人を狙ったカレッジも有ったのさ。其処で

         柳橋の女将の意見を取り入れたのさ。思い切ってカソリックのフェーリスか聖心はドウかとな。日本の格式に捉われない自由な雰囲気を育てたらと言われたのさ

   お前は女将を煙ったがって居た様だが、意外にもお前の野人ぶりを認めて居たのはあいつだったのさ。」


   「 嬉しいわ。私にはお歳から母の最期と重ねて見て居たのよ。皆さんお若いお体から、まだ女の欲が生きてると思われた居たのね。あの方は女の弱さをお隠しに成らなかったのよ。時にはお背中でお返事なさらないのも使って居たのね。又、

        皆様私を別格扱い為さって居るのに、貴男を巡ってジェラシーをお見せに成る時も有ったのよ。女同士は隠すのが普通ですのに、私にお返事を為さらない時も見せてたのよ。

    最初は花街の躾かと思いましたのよ。68だとお姉さんに聞かされて、17に敵対心をお持ちなんですから、何が何だか判らなかったのですのよ。母も其れと想わせる時が有りましたのよ。

        言葉を交わせなくても表情から命の違いを見せる時も有ったのですのよ。女同士の心とは別に、人の命の自然な終わりを教えて居た顔でしたのよ。

   其れを思い出したら、若いお姉さんたちに囲まれて居ても、大きな違いが重く被さって居たのに気が着きましたのよ。不思議でしたの。母でさえ命の終わりには焦りを感じて居ましたのに、あの方は其れを抑えないで私にぶつけて居ましたのね。

   其うした形で私が1人で生きて来たのを、強い意志と申しましょうか自由な生き方を望んで居るのをお見抜きに成って居ましたのね。


   「 そうだったのか。俺はテッキリ置屋の資金源の半玉から芸者に引き上げて遣ったのを根に持って居ると勘違いしてたのさ。俺より三つ上だから、大学在学中の二十歳の時に囲ったのさ。15から8年、枕を抱いて男を受け続けたと言ってたが、俺も意地に成って身請けして仕舞ったのさ。外国から帰ると家庭の温もりを求めて柳橋に行ってたんだ。今では心から済まないと思って居るのさ。」

   其れで好いのでしょうね。順番とは思いませんが、母も珠樹の10歳から7年懸けて旅立ちが避けられ無いのを教えて呉れましたのよ。