雅叙園で、思い掛けない収穫が有りました。殆んど全員の仲居の娘さん達が、マリーを覚えて居る――――と言うよりも、先輩の言い伝えで無給の2年間の修業を支える心づくしの女神と成って居たのです。当時から続けて雅叙園に就職した方も何人か居らした様でした。其の方たちから
伝説に近い申し送りに成って居る様でした。宿泊代として置いた1500万円とは別に、サービスに出て居らした娘さんには100万円を懐にねじ込んだのです。
ワザとたどたどしいベランメー混じりの日本語で
ニガー、二グロ、ブラック
に、皆さん大きく頷いて居ました。チェックアウトではお玄関に並んで、順送りにハグで見送って呉れました。マリーも涙が止まらない様でしたが、今回の歓迎は地下の賄風呂で混浴できたのです。
10人の娘たちは根津の大浴場で根津中の3年から一緒でしたので、かなり日焼けした仲居の娘さんに交じって黒と白の共演で騒いだ様でした。
雅叙園の計らいで、支度部屋と思える大部屋で10人の娘たちが寝たのです。やはり仕事明けの10人が加わって、かなり突っ込んだ話に成った様でした。
「 此の三人は一の関の出なのよ。私は陸中葛巻なんですが、山の中の何も無い処から追い払われる様にして出て来たのよ。」
と成れば、話は自然に青森に成った様なんです。
男一人の僕はバスで寝ましたが、
マリーも20人の相部屋で枕投げに加
わったと教えられました
「 此んなに成るとは思わなかったのよ。似た様な年代でしょう。岩手の山奥がドンナ所か皆んな知ってたのね。絶対タブーだった青森で盛り上がったんですのよ。恐らくマスターが、似たような境遇の娘さんを寄越したと思いますのよ。」
「 いや、其れとは違う筈なのさ。東北の訛りってチョットやソットでは消えない物なんだ。10人で笑いこける時は訛りで喧嘩してるのが多かったのさ。雅叙園の娘さんの応対を見て居たら、東北訛りが残って居たのさ。寒い国だからロレツが回らないで省略する発音が有るのさ。仲居を務めた娘たちは客商売だから極力訛りは伏せて居たのだね。気が緩んだら東北が一斉に噴き出したのだよ。
此れでハッキリしたと思うんだ。青森を捨てようとするのが不自然なのがね
此の先ドウ発展するか判らないが、マリーが一緒だったのだから徐々に持って行けば青森の好いとこ取りに出来ると思うのさ。」
「 判るわ、2年功に言い続けられたので、南部を冷静に見られる様に成ったのよ。好きな所は殆んど無いんだけど、青森を一緒に見直すのは出来そうなのよ。」
難しいのは判って居るのさ。何しろ東京とは違う冬なんだから、仕事でも観光でも無い旅で青森を見せるのって無理が有るのだよ。十和田湖にも行って見たし、奥入瀬の峡谷も見たけど感慨なんか湧かなかったね。東京に居れば、秩父や多摩の深い峡谷に比べて仕舞うでしょう。
僕には青森の好いとこを探すのは難しいと思えるのさ
「 だから功は単細胞だって言うのよ。女の気持ちが判って居ないんですもの。同じくらいの娘たちが、似た様な境遇で東京に出て来てるのよ。反発と慰め合う気持ちが交錯して興奮してるのね。今は無理としても上手く繋ぎを付けて行けば、青森を特別とするのでは無く東北の一部と作れると思うのよ。」
「 判ったよ。お金を出せって言うのだね。」
「 叱りたい処なのよ。でも半分はホントなのね。何方かと言うとマリーは母親役なのよ。上手く持って行けばプレゼントは受け取ると思うのよ。判るでしょう、花束を贈るのではないのよ。仮りにですけど、
袖を通した振袖は古着扱いして居るでしょう。結局はプライスダウンで引き取る事に成ると思うのよ
「 おいおい、半端な量じゃ無いのだよ。90人が1週間、試着の繰り返しだろう。最後はドウするのか見て居たら、其んな使い道も有るって事なんだな。大振袖なんだぞ。着られるのってそう多くは無い筈―――――」
「 だから功は単細胞だって言うのよ。何も仲居の娘さんに着てって言うのじゃ無いのよ。故郷に帰るのにお土産も有るでしょう。上手く持って行けば、振袖だけでは無くて帯も小物もお草履も全部雅叙園土産に成るでしょう。無給で働かされた雅叙園が、東京でも特別だったってお土産にしても好いでしょう。」
参ったね。突貫小僧の先を見ない突撃を、ヤンワリ窘められたのさ。
マリーのバカ、卒業式が終わったら覚えて居ろよ。と言ったって閂で操られるのは判ってても止められないのさ。バカって楽しいんだよ。