「 妊娠するとお医者さんに頼っちゃうでしょう。幸せだったのはお父ちゃんが日本に留学させて呉れたのよ。横浜のフェーリスにね。」
ぉっしゃる事が身に染みて判るのよ。彼がベストなお医者さんだって仰ったのよ。
「 判るわ、私よりも彼がつわりに成っちゃったのね。何処も何とも無い私の分を肩代わりして呉れたのよ。」
「 そうなのね。ドウしたら好いのか狂いそうだったのよ。忘れもし無いわ。1930年の世界恐慌の真っ最中だったのよ。イタリアの観光も全滅でしょう。父は経済の恐慌に乗せられ無い様にするので母もてんてこ舞いに巻き込まれたのね。ですからイヤもオウも無く、日本行きが決まっちゃったのよ。もう不安でお船の中で妊娠よりも船酔いで死ぬかと思ったのよ。だってインド洋の波は凄いでしょう。お父ちゃんにしがみ付いてるだけで何も食べられ無かったのよ。」
「 そうだったのね。良く流産し無かったのね。」
「 其れがラッキーだったのよ。当時岩崎商事の海外部長だった弥太郎さんが着いて下さったの。お父ちゃんは秘書課の係長だったのよ。岩崎学校の後輩だったので弥太郎さんに引き抜かれたのね。其れで岩崎病院から看護婦さんが乗っていらしたのよ。スエズを出てカイロからね。」
「 其れで高輪に居らしたのね。」
「 地中海を抜けるまでは何も無かったのよ。お二人の看護婦さんはご年配だったのよ。ですからデッキにベッドを作って下さって優雅に船旅を楽しんでたの。其れがインド洋では大波でしょう。日本丸って大きなお船でしたのに、甲板を波が洗うんですもの。お二人の看護婦さんが着いて下さらなかったら、とても持たないと思ったのよ。」
「 だって一番流産しやすい時期だったのでしょう。」
目の前でお手を振られましたのよ。微笑みが私の心配を吹き飛ばして呉れたんですもの。
「 御かゆを作って呉れましたのよ。イタリアでは病気に成るとスープにご飯を入れて食べてましたでしょう。其れに似た御かゆだったのですもの。インド洋を抜ける二日はおかゆで何とか持ち応えたんですのよ。
何も心配は要らないのよ。貴女は
200%健康なんですから、私たちに
任せて置けば好いのよ
でしたのよ。女性ホルモンが妊娠に併せたんですから、心の落ち着きが一番なのね。」
そうでしたのよ。安心したら急にお腹が空くんですもの。ベテランさんが見守って呉れてるでしょう。十月一〇日はアルコール抜きに成りましたが、彼も飲まないんですもの。安心ってつわりも便秘も感じませんでしたのよ。