お日様が顔を出すと、気の性なんでしょうが地中海の照り返しを暑く感じるほどでした。其れ位海岸線の波うち際を走って居るのですもの。
「 流石に腹が空いたな。」
ビュッフェには執事が待って居ましたのよ。
「 お休みには成らなかったのですね。お若いのって羨ましい位です。」
お上手には聞こえませんの。彼も笑って話しましたのよ。
「 思えばずいぶん世話に成ったな。俺が東大に入った時に岩崎学校に来たのだからからな。一回りは違わない筈なんだ。するとお前も60までには行って無いだろう。」
「 58に成りました。驚きました、シチリヤがお気に召したのかとも思いますが、スペインの自由が本物でしたな。」
「 まさかとは思ったが、此の歳に成って父親に成ろうとはな。お前は高輪に居た時に初孫が生まれたと言って居たな。ドウだ夫人共々でスペインに住んではドウだ。マダマダ行けるだろう。お前の若さだったら夫人次第だが期待は持てるだろうな。」
「 ご冗談を、家内も来たいとは申して居りますから、一度帰って話して見ましょう。婿も商事では中堅に成って居ますから、娘共々でしたら家内も其の気に成るやも知れませんからな。」
久しぶりでしたのよ男同士のお話なんですから。珠樹だって悪い気はしませんでしょう。
「 嬉しいわ、何が不安だって初めてなんですもの。相談できる人が居て呉れるのが一番なんですのよ。彼の血液検査が有りますので一度バルセロナに戻らなければ成りませんのよ。タオルミーナからお電話でお呼びして下さると嬉しいのよ。」
「 其れも好いな。執事の役職は解放してもとは思って居たのだ。お前の相談役としてなら夫人も文句は有るまいな。そうだ、羽田が国際線に使える様に成ったと言うから、いっその事ローマに来て貰えば迎えに行くのにやぶさかでは無いぞ。」
なんですか、トントン拍子に纏まりそうでしたのよ。ビュッフェの朝ご飯はスペインのお食事でしたから、白いんげんのスープに珍しくオレンジのサラダが着きましたのよ。デザートはパルの定番の黄身だけのプリンでしたの。
「 まだフランスに入ったのではないのですのね。」
「 おう、バルセロナの次に停まるのがフランス領のモンペリエの筈なんだ。入国審査が有る筈だから、まだ岩崎のパスポートでスタンプを貰う事に成るだろうな。次に停まるのがマルセイユだから、其処で後ろの五両が切り離されるのさ。其処からアルプスエキスプレスに成るって仕掛けなのさ。此のビュッフェはオリエントエキスプレスに成るからそうだ、弁当を作って置いて貰おうかな。三人分で好いだろう。此の男は執事は首にして、お前の客として残って貰おうじゃないか。」
に成りましたのよ。お二人の執事の中でも何かと珠樹に気を使って下さった方なんですもの。急に気が強く成りましたの。
「 そうよ、何が何でも奥様に来て頂くわ。ホントに思っても居なかった妊娠なんですもの。此の人ったら想いは何処かにトンでっちゃってるのですのよ。
もう別人なんですもの。今は落ち着いてる様に見えますけど、貴男の手前が有りますでしょう。一人にして置くと子供より手が掛かりますのよ。ローマで乗り換えでしょうが、お願い。全部頼りにしてますのよ。何でしたらハスラーローマでお電話して、奥様が来て頂けるのでしたら、タオルミーナにお住みに成っても―――」
其うは行きませんでしょう。でもタオルミーナの居住権を持って頂けば、何かと便利なんですもの。
1年の居住実績が必要なんですけど、
私たちだって半年チョットで永住権を持てたのですもの。彼の1930年生まれの畠山弥太郎も取らねば成りませんでしょう。でしたらパレルモ支庁の寄付を三倍に増やせば好いのですのね。
お願い、珠樹の為なんですから
で、何とでも成るって甘えちゃいましたのよ。もうメロメロは彼も珠樹も一緒でしたの。