京都旅行は一日残って居ますが、気分転換でスペインに飛びましょう。卒業式まではまだまだ和服の着せ替えも有りますし、大振袖もお尻が崩れない様に着せるのは大仕事なんですよ。和服に慣れて居る貴女でしたら、17歳の何処が問題なのかはご存知でしょう。後ろに回った時の17歳の何処に皺が寄るのか迄言わなくても好いでしょう。半端な着付け師ですと、大事な大事なプリンプリンが皺だらけに成ってるなんて悲しいでしょう。今は言えませんがまだまだ重いブログに成ると思いますので、スペインを挟ませて下さい。
さてさて、カサ・パトリョに高輪の執事が飛んで来ましたのよ。歓迎の印でお父さんのキスを浴びせちゃいましたの。
「 此れが正真正銘、1930年生まれの畑山弥太郎様のパスポートです。お改めください。」
何だか急に老けた感じでしたのよ。脂ぎってて好きじゃ無かったお顔の目じりの皺を伸ばして差し上げましたの。だってバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の結婚式の立会人に成って頂くのですもの。
何を夢見て居るのだ。そうか、岩崎弥太郎
さんの財産目当ての結婚なんだな
ですから下賤の貴男とはお話ししたく無いのですのよ。お忘れの様ですから少し遡ってダイジェストを記して置きますわ。ラインのゲームがロハだからって、個人情報が筒抜けに成って居るのもご存じ無しで、電車の中でも此れ見よガシに豆粒の世界にのめり込んでる坊やには夢は要らないのでしょうからね。
フィクションの中には大きな夢も有りますのよ。現実の夢なんですのよ。
1950年でしたね。柳橋のお玄関で運命の出会いを為さったヤー様は65でしたのね。珠樹はって17でしたのよ。もうお忘れかと思いましたので
フィクションの現実を教えますのよ。
トレヴィの泉で生き返りましたの。ホント
は高輪の6年で相性バッチリに発展して
居ましたのよ
ファックだけが男女の相性とは決まりませんのよ。
二人の努力の結果が前回教えた珠樹のアンネが止まった所で切れて居ましたのね。あら、病院には行きましたのよ。カサ・パトリョから歩いて10分に
エンサンチャ大学病院が有りましたの。
尿検査でおめでとうを言われましたの
よ。血液検査の予約を入れましたのに
彼の検査に慌てるやら飛び回るやらして
日本人なんだから風疹を理由にして予約
は取り消そう
に、成ったまでが前回のあらましでしたのね。
其れはそれは、大変でしたのよ。どうしても珠樹に合すって言い出して聞かないんですのよ。脂ぎった90キロはアラホーに戻って居ましたのに、
タオルミーナの居住権で結婚はしたく無
い
って、伊勢の山奥で眠って居た1930年生まれの畠山と養子縁組をして、新しい畠山弥太郎の戸籍を手に入れましたのよ。
其処の処は全部執事がやり繰りして呉れましたの。
日本からの出国のスタンプが居るのだが
細かい事はノーにして、バチカン市国の
婚姻証明を取れば、カソリック国のスペイ
ンで子供を育てられる
に、押し切られましたのよ。
「 此れがスイスの新しいお名前です。引き出すのは1年お待ちください。1年以内ですと50%の解約手数料として1000万ドルが消えますので、取り敢えず岩崎バンクに畠山珠樹様の預金を作って置きました。此れでお宜しいかと存じますが。」
何しろお話を聴けるヤー様では無かったのですもの。
良しよし、此れで検査に行けるぞ。双子
に決まってるから名前を考えなくっちゃな
流石の執事も呆れるやら微笑むやらで、
「 バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の手配お願いね。帰っちゃダメよ。珠樹のお願いなんですから、此のカサ・パトリョからずーと着き添って欲しい
のよ。見て判るでしょう。夏子に成るから丈夫だとは思うけど、今でも此の調子なんですから―――」
で、カサ・パトリョに残って貰いましたのよ。
ねっ、此れこそフィクションなんですのよ。珠樹は今は芸者ですが、お仕えした65歳を少しだけ若返らせても好いでしょう。お忘れかとは思いますが、千住の貨車で暗い夜を一人で耐え抜いた17歳でしたのよ。母に換わって少し大きめですが、90キロのヤー様を捕まえたって好いでしょう。教育も無ければ身寄りも居なく成って、何も知らない真っ更な珠樹を6年育てて下さった弥太郎さんと結ばれるのに文句が有る方は出て居らっしゃい。娘がお風呂で気持ちが良く成ってコロコロウンチをしたって好いでしょう。彼が洗面器で掬うのを写真に取るのは珠樹の役目なんですもの。お嫁に出して二人に成ったらアルバムを開いて見せて挙げますのよ。30年後でしょうが――――