4歳の娘が一本道を歩き始めたのです。

既に大凡の17歳まではブログに記して有りますから、お読みに成ってご記憶の方も居らっしゃるとは思います。でも此の13年は、ホントに一本道でしたのよ。父とは8歳からは長屋から出ましたので離れ離れで暮らして居ましたの。其の分母の目が何時も語り掛けて呉れて居ましたのよ。

        目が語り掛けると言うのがホントでした

        のよ。ハグは愚か手を添えて呉れた

        記憶も有りませんでした

ライが移るのを極度に警戒して居たのですのよ。もう4歳から伝染力が強い病気を母が持って居るのは知って居たのですもの。4年暮らした長屋は、屋根が有るだけの住まいでしたのよ。前にお住いの大工さんが板を打ち付けて夜風が入らない様に工夫為さって居た様でしたの。此れもベニヤ板で仕切りを作って、タダ住める様にした豚小屋でしたの。与えられた奥の部屋は、其の大工さんがお引き取りに成った部屋だとは感じて居ましたのよ。


   一組の夜具が置いて有りましたから、其の夜から使わせて頂きましたの。大工さんの臭いが沁みこんだお布団でしたのよ。

         4歳の娘でも何方かがお使いに成っ

         て居た物だとは感じて居ましたのよ。

         広島の暮らしからは想像すら出来な

         い夜具でしたの。疲れ果てて眠って

         仕舞いました。父も母も明くる日から

         は同じお布団でお休みでしたので、寝

         ないでお話しした結果としてお二組の

         ご夫婦と暮す決まりが着いたのでしょ

         う

   島では甘え切って居た娘にも、異常事態なのは察しが着きましたのよ。あれ程明るかった母が、手も差し伸べて呉れませんでしょう。其れなりに抱擁が出来ない何かを感じましたの。もう覚悟するしか無かったのです。


   元々広島では何時も一人でしたのよ。お手伝いさんがお世話をして下さいましたけど、何軒かの掛け持ちですから母が病院から戻るまでは1人でおもちゃで遊ぶのが多かったのですの。

   人って不思議なんですのね。

         人肌が恋しいって言われますけど、

         煩わしいのを嫌う時も有りますのね

其れに慣れて居ましたので、傍に居て呉れるのですから母に甘えるのは我慢するしかないと決めましたのよ。此れって私が半大人でしたら無理だったと思いますのよ。子供の単純なお脳では、耐えなければってのは強く支配しますのね。

         元々一人で暮らして居たのですから

         母が傍に居て呉れて、二組のお年寄

         りが遊び相手に成って下さるのです

         から此れが私の家なんだと

決めるのは自然でしたのよ。


   ドウなんでしょう。得てして幼稚園の経験が将来を決定づけると申しますが、其うとも決められ無いと思いますのよ。此れは兄弟の数にも言えるのではと思いますの。暴力的な上の兄弟を持てば、叩くのが普通に成ると思いますのよ。何も強制されないから素直に育つとは限らないでしょう。末っ子でも暴力を好む子は居ますのね。

         兄弟姉妹が居ない一人っ子は兎角

         ねじれて育つと言われるのはドウなん

         でしょう。時には妹を想う時も有ります

         けど、それ程強く思った事は無かった

         のですのよ

ヤー様のお世話に成ってから、共立女子で皆様と接して感じましたのよ。

         姉妹の多いご家庭のお嬢様は、兎角

         影響を受けまいとする依怙地が見え

         ますのね。むしろご自分を曲げないで

         通そうと為さる方の方が

肩が凝らないお付き合いが出来ますのね。


   其れと同じだとは申しませんが、長屋の暮らしが私には向いて居た様に感じましたの。ハグこそして呉れませんでしたが、母の無口は何時もでしたから何も思い悩む事は無かったのでしたの。