冬の2月とは思えないポカポカ陽気に誘われ宿を出ました。浜名湖に沿った道は自然の生活道路なんですね。湖を避けて内陸に向かうかと思うと、チョットした木立の中を抜けて又湖に戻るのです。

 

   日本の原風景がドウとか仰る方が居ますね。

       何を原風景と為さるのかは、其のお人の  

       自由なんでしょうね。僕は気儘と言いま

       すか我儘ですので、何の想いも持たずに

       フラッと出掛ける事が多いのです

生まれて育ったところは東京の西の外れの羽田でした。羽田が飛行場に成ったのは、多摩川が運んで来た砂が堆積して居た洲の様な遠浅の海に、砂の捨て場として羽田の海に埋立地を作ったのが始まりだと聞いて居ました。東京湾の沿岸は、鶴見川から東は遠浅の海だったのです。其処に京浜工業地縦を作るので、沖合100メーターに堤防を新設して京浜運河を作ったのです。運河の浚渫で出た砂を羽田の海に盛り上げたのが飛行場に成ったのです。


   ですから羽田と言っても、穴守稲荷から埋立地に通じる小さな橋が有っただけの海岸だったのです。アナゴ漁やアサリで何とか食いつないで居た漁師たちは、羽田の浚渫・埋立てが終われば手直しして使って居た手漕ぎの船しか持たない漁師とも言えない漁民だったのです。30軒ほどが纏まって暮らして居た貧民屈でした。

        幸か不幸か食べるのは何とか成りまし

        たが、何も無い土地に部外者は入って

        来なかったのです。此れは多摩川の西

        の京浜工業地帯と別世界を作って居ま

        した

京浜運河を造成して、鶴見の工業地帯に貨物船が出入り出来るように京浜運河を作ったのでしょう。新設した砂の捨て場として羽田の造成地が作られたのでしょう。ですから羽田の西の芝浦も浚渫して東京港を作ったのです。

        羽田の漁師たちは芝浦港と言ってまし

        た。新橋から六郷橋まで伸びる国道は

        江戸時代の東海道をそっくり開発した

        一国と成って居たのです。其の国道に

        沿って鉄道が引かれれば、鉄道の海側

        の荒れ地は無用の土地として遺された

        のです


   ドウ言う理由が有ったのかは知りませんが、浜松町から品川の田町までの鉄道は高架に成って居ました。其の高架を潜る形のガードが

        東京港口と言われて、其の芝浦口に

        チョットした花街が作られて居たので

        す。芝の増上寺に隣り合わせる形の

        芝神明神社が作られて居ました。です

        から芝神明の三業地は格式が有る

        花街としては盛って居たのです

田町には東海道の一里塚の旧跡が残って居ますし、形すら無い東京港に二業地が残って居たのは

何とも理解に苦しみます。

  

   言って見れば東海道線の鉄道線路の外側は、荒れるに任せた葦の原っパで、江戸時代の東海道が東京の表舞台だったのでしょう。ですから羽田の埋立地が出来ても、穴守稲荷の部落は時代に取り残された30軒の貧民屈だったのです。

        好い方に解釈すれば、東京では唯一と

        も言える漁業で食いつないで居た部落

        だったのです


   確かに時代に取り残された趣が有る部落でした。小学校には1時間、葦の草むらを歩いて蒲田の小学校に連れて行かれました。入学式こそ行きましたが、渡されたのは数本の鉛筆と一冊の帳面でした。部落に帰れば喧嘩が待って居るだけなんです。子供たちは20人は居たと思いますが、学校に通う子供も居ませんし、昼飯なんか出ませんから家に帰る子供は居なかったのです。

        ドウ遣って何を食べてたのかも定かで

        は無かったのです。恐らく東京の貧民

        屈では似た様な環境だったと思います

小学校に連れて行かれたのが大東亜戦争が始まる前の年でしたから、生まれたのは1933年だと思い込んで居ました。マリーに調べられるまでは、

        生まれは勿論の事として、名前すらも

        定かでは無かったのです。子供同士で

        功と呼ばれて居ましたので、戸籍上は

        功だったのでしょう


   何も羽田の穴守稲荷が特別の外国では無かったのです。日本も東京に違いは有りませんが、皆様お考えの都会の東京とは別の土地で暮らして居たのです。

        放浪癖と申しますか、一つの家に住み着かなかったのは、此の幼年期の穴守稲荷で作られて居たのかも知れません。逆に言いますと、自由奔放とも言える何時でも羽搏こうとして居た性格は、この時代に作られて居たのかとも思うのです。