北千住の駅から綾瀬まで、初めて列車に乗りましたのよ。切符を買うのも朝から並んで半日待たねば買えませんでしたの。母と手を繋いで待つのって初めてのデートでしたの。

    実は母の実験だったのですのね。顔を知られて居ないのを確かめるテストだったのですのね。セーラー服の私と手を結んで乗り込んでも、誰にも見咎められませんでしたの。常磐線に乗ったのは此の時だけでしたのよ。仕事場に選ばない列車で試したのですのね。


   暗く成り掛けた綾瀬の駅からルンルンで貨車に戻りましたの。一緒に寝たのはあの日の一度だけでした。セーラー服を脱がせないで第二ボタンまで外して胸を空ける練習を繰り返しましたのよ。知らない間に私のお財布が母の手に移って居ましたの。

    其れを私のポッケに返して乳首を揉んでくれましたの。今度はお札に見立てた新聞紙が抜かれて居ましたの。一言も言わないのに全部判りましたのよ。殆んど明け方まで繰り返しましたの。納得するまででしたのね。

        無言って凄いんですのよ。悟らねば

        成らないってのは、言葉でも想いでも

        無いのですのね

此れしか無いのが脳に焼き付きましたのよ。母の想いは私を置いて長屋に帰るのを教えて居たのですのよ。


   ひと眠りすると、初めて父のどぶろくを買いに連れて行って呉れましたの。黙って居るのが鮮烈に父の存在を教えて居ましたのね。

        恨みも思い出も無い現実の存在だけを

教えて居たどぶろくでしたのよ。

    母の悩みを吹っ切るどぶろくだってのが、嫌でも判るんですのよ。一晩の別れに何の意味も未練も無いのでしたの。朝に成ればって其れだけなんですのよ。12歳の娘に教えるのは言葉でも有りませんし涙なんてもっての外なんでしたのね。12年のすれ違いは伊達では無かったのですのよ。お互いの道を歩きながら私が育ち、母は時期を見て居たのでしたのね。誰れにも判らない二人のテレパシーでしたのね。


   到底お判りには成らないでしょう。母は父の元に帰るのでは無かったのですのよ。娘の一人に併せて居たのですのね。今思えば心はズタズタだったのでしょう。其れを娘が一人で生きて行ける様に、過去の清算を考えながら私の一人に併せて居て呉れたのですのよ。私は話しますでしょう。堰を切った様に話す時も有りますし、泣き言に近く成ると黙って立ち上がるのですのよ。

         続けるのなら別れましょう

ですのね。絶対の教育だったのですのね。5年で少しずつ判って来ましたのよ。

         今日教えるのは明日は別に成るのを

チャンと知ったら―――でしたのね。5年懸けてさよならを言って居たのですのよ。お判り頂けなくても構いませんのよ。母が暮れたたった一つの言葉だったのですのよ。

         さよなら、一人で生きて行けるでしょう