涙ってドウして出るのでしょう。いーえ、
泣かなければ女では無いのでしょうか
悲しみを持ち続けて居られるお人って、ヨッポド暇なんでしょうね。珠樹にも悲しみは有りますのよ。
走らないまでも歩いて居れば、次の一歩に何が起きるのかは判らないのですもの。
何れは独りで生きて行かねば
とは、家を出る前から思って居ましたのよ。日が暮れてからの暗闇の中で、何年想いを巡らせて来たのでしょうか。何日も母が来ない日が有りましたのよ。夜千住の街が寝静まってからソット長屋を覗いて見ましたのよ。転がされて居た母の大事な所に、空に成った一升瓶が詰め込まれて居ましたのよ。
其の想いって貨車に帰ってから噛み締め
ましたの。千住二小の入学式に出た翌年
でしたから
確か八歳の夏でしたのね。特別な想いも悲しみも有りませんでしたの。何時もの父の棍棒に変わって一升瓶が入って居ただけですもの。其れよりお腹が空いたのを何とかしなければが先でしたのよ。
悲しみよりも怒りよりも、お腹が空くのが八歳の珠樹の現実でしたのよ。明るく成ればお人が来ても不思議では無い貨物置場でしたのよ。食べ物を盗みに街を彷徨いましたのよ。
思い掛けない収穫が有りましたのが
生きて行く自信に繋がったのです。まだ母が居なくなるとは思いませんでしたの。明日は来てくれるのではが、1年毎に何れは一人に成る想いが固まりましたのよ。此れが現実なんですのね。
17で母とはお別れしましたのよ。例え二十歳で有っても、もっと先で有っても何れは来る事なんですのね。
悲しまなければいけないのでしょうか。
其れまでを全力で生きればって、何を
遣れば好いのでしょうか。頑張るって
空しく聞こえませんでしょうか
全部、心の隙に生まれる空しい空想に過ぎませんのよ。今日の次に明日が有って、其れが1年、2年と積み重なって終わりを迎えるのですのね。仮りに、違う人生が有るのでしたら教えて頂きたいと思いますのよ。
でも其れを、母に言ったでしょうか。其
れこそムダなんですから。母も申しま
せんでしたし、ヤー様にも勿論の事
何方にも話しませんのよ。悲しみが来るかもしれませんし、何よりも珠樹の手でお迎えを迎えなければ成りませんでしょう。其うなんですのね。涙でお見送りをしなければ人では無いのでしょうか。泣けるかも知れませんのね。其の時に成って見なければ何とも言えませんけど、母の時と同じ月日が経てば、独りで生きて行く覚悟は出来てると思いますのよ。
ですから珠樹のお脳は、時間が決定打に成って居ますのよ。