「 柳橋の玄関に立って居たお前を見た時、人形だと思ったんだ。真っ白な顔がゆで卵の様にスベスベだったろう。不思議だな、化粧もし無いのにあの時と変わら無いのだからな。」

   「 嬉しいわ、何を褒められるって自然にしてるだけなのを褒められるのって一番嬉しいのよ。だって自慢するどころか取り柄の無い女なんですもの。我儘なのは治るどころか、何だか止まらない感じなんですのよ。叱って下されば少しは治まると思うのにーーー」


    「 其れが好いんだ。聖心に行ってた時はすまし顔が多かっただろう。」

    「 そうかしら、気が付かなかったのよ。だって聖心の緊張って凄かったんですもの。お名前は畠山で通って居たけど、15番の黒ナンバーのビュイックで送り迎えでしょう。1番から20番までは岩崎のお車なんですもの。聖心の門の前の交番のお巡りさんだって挙手で送って下さるでしょう。岩崎の娘と脱走する時のズベとを使い分けたのですのよ。ビュイックの運転手さんがお煎餅と水筒のお茶を用意して下さって居たのでホッとしてたのよ。」

    

    「 そうだったな、奴の娘もお前と同ない歳だったから何かと気を使ってた様だったな。聞いても半分も報せて呉れなかったが、お前の味方が時には癪に障った時も有ったのさ。

       市ヶ谷の射撃場でシコルスキーを撃たせ

       ても構いませんか

と、聴いて来たので厳しくノーと申し渡したのに、

       もう、経験済みなのは明らかだったな

其んな事をイチイチ許可を求めて来る男では無いのだからな。まあ、奴が居たので緊張が解れたのも有ったのだろう。」


   「 其うでしたのよ。悪ふざけって広尾の駄菓子屋さんを荒らしたのも、運転手さんが付いてて下さったので安心して気が緩めたのよ。有栖川の記念公園も教えて下さったので、聖心では大人しくしてましたのよ。あら、皆様お気取りなんですもの。何人か華族のお嬢様も居らしたので、下た出に出るのも覚えましたのよ。そうそう、時々でしたけどヒステリーを起こすとクレー射撃場に連れて行って下さって、機関銃を撃たせて頂きましたのよ。あら、空砲に決まってるでしょう。あのタンタンって音が懐かしいわ。」

   

    「 其んな事だと思ったぞ。敗戦でクレー射撃のレミントンも全部没収されたのさ。あの機関銃はシコルスキーと言ってな、ソ連で市街戦用に開発された20連発の狙撃銃なんだ。構造が単純なんで水に濡れても撃てる銃なのさ。レニングラードに攻め込んで来たドイツ軍をあのAK47で応戦したのさ。

        女子供はモスコーに撤退させたんだが

父ちゃんが残るのだったらと婦人たちもレニングラードに戻って戦死したのさ。

        武器と言えばあのAK47しか無かったの

        に、将に肉弾戦だったのだな。完全に

        破壊された街が200万人の墓場なんだ

あそこでドイツの戦車隊を食い止めたので、後方で戦車を造って一挙に反撃に出たのさ。アメリカも油断して居たのだな。ノルマンディー作戦の成功に溺れて居たので、ソ連にV1号とV2号と原爆の秘密を全部持って行かれたのが冷戦の始まりだったのさ。

        レニングラードの市民の玉砕戦法が

        無かったら、ソ連はドイツに征服されて

        居ただろうな。200万人の市民がAK47

だけでドイツの戦車隊と戦った記念とし

        て射撃場に隠して置いたのさ

通称シコルスキーと言うのだが、ご婦人方が戦死を覚悟してレニングラードに引き換えしたのを、我々も忘れては成らないモニュメントとしての狙撃銃なのさ。」


   「 其んな戦争が有ったなんて知らないのよ。レニングラードは名前を変えたんでしょう。」

   「 そうさ。ソ連にとってはモスコウよりも歴史と文化が長い都市だったのさ。完全に破壊されて瓦礫の山と成ったのだが、

         何処で200万の市民が戦死したの

         かも判らないのさ。ソ連は町全体を

         墓標として再建してるのだ。国民全員

         がレニングラードの再建に参加して

         居るのさ。レンガを一つずつ積み上げ

         て、元通りのレニングラードを造って

         居るのだ。200年300年では完成し

         無いだろう復興に、国民の一人一人が

孫・子の代までレニングラードを忘れるなの煉瓦積みに協力して居るのだ。恐るべき国民と言うべきなのか

         日本人は関東軍のシベリヤ抑留を

         非難しているが、戦争に負けた賠償と

         して労働力を提供せざるを得ない結果

         なんだ。50万と言われた関東軍は、

         匪賊の毛沢東に武器を差し出して

         女・子供を放ったらかして逃げ様とした

         卑怯な軍隊だったのさ。20万人とも

         30万人とも言われた満州開拓民の

         犠牲は何だったのだろう

天皇陛下万歳で威張りかえって居た関東軍が、開拓農民を見捨てて匪賊の毛沢東に尻尾を振った苦い思い出として

         射撃場にAK47を置いて有るのさ

日清・日露の戦争は、勝てば賠償として領土を取れるから始めたのさ。負ければ賠償を取られるに決まって居るのさ。ソ連は賠償として関東軍の労働力を要求したのに比べて、アメリカは日本の国土を植民地として使用するのが賠償だとして居るのさ。アメリカ議会の議決を調べれば、沖縄も横田も横須賀も全部植民地として日本に提供させる議決が通って居るのさ。

         俺はマッカーサーが命じられた岩崎

         コンツェルンの解体に抵抗するので

         力を使い果たしたのだ

最早抜け殻同然だったのをお前に救われたのさ。」

    

    いーえ、まだ抜け殻の気が残ってますのよ。

仰りたい事は日本人の無知なんでしょうが、

         教育勅語に踊どらされて居たのが

今はお金の取り合いなんでしょう。其れがイヤで日本

を抜け出しましたのよ。17歳までの珠樹って、人様のお金を懐から盗む手助けにおっぱいを使って居ましたのね。

         忘れなければ母と同じに、警察の

         死体置き場の晒し者に成るのが

判って居ましたので、柳橋の門を叩いたのですのよ。

ラッキーも何も、其れで生きるしか無かったのですのよ。