千住の17年を特別だとは思って居ませんのよ。豊かでは無いけど、下を見ればキリが無いって思ってたのですもの。25歳の今とは思う事も感じる事も全部違う世界の娘でしたのよ。
外からは何とでも言えるでしょうが、
毎日育って居た時って今日しか考えま
せんのよ。学校もお友達も父の暴力も
朝、貨車の中で目を覚ますと良いお天気ですから、裸に成って洗車場の水道のお水で、お顔と体を洗うのしか考えて居ませんでしたのよ。女の子でしたら皆んな遣ってるのですから、自然に其うしただけでしたのよ。
そうなんでしたの。千住警察で
帰って好いよと言われたのが、母との
別れだとも思いませんでしたのよ。お昼
過ぎには迎えに来る人が来なく成るから
何時もとは違う日に成るのね。としか想わなかったのですもの。北千住に居ても仕方が無いので日光街道を歩いて居ましたのよ。
此の侭行くと万世橋警察に行ってしまう
でしたので、横道に入ったらお三味線の音が聞こえましたのよ。芸者志願をした覚えは無かったのでしたのよ。何と無く古風なお家が見えましたので、お三味線を何方かがお弾きに成って居るのではってお玄関に入りましたのよ。其れからの事はご承知でしょう。
皆様ドウお考えかは存じませんが、学校に行くも行かないのも珠樹の毎日には無かったのですのよ。長屋の4畳半でせんべい布団を被って寝て居るとお考えでしょうが、薄いお布団の下の畳には夜中の汗が畳に浸み込んで、何時もジメジメと濡れて居たのですのよ。其れでしたらフラッと迷い込んだ操車場の貨車の中で、筵を被って寝た方がサッパリして居たのですもの。
貧民窟の描写でセンベイ布団をお描き
に成る物書きの先生が居らっしゃいま
すが、ホントの煎餅布団って人の汗が
畳にまで浸み込んで、其れを体の
お熱で温めて夜を凌いで居るのです
のよ。物心がまだの子供でしたらお布
団が冷たいしか感じませんけど、お年
寄りは朝まで冷えて湿ったお布団に
横に成って居るだけなんですのよ。
其れが千住の長屋暮らしのホントでしたのよ。
人の寝汗って凄いのですのよ。多くの方はご存じ無いとは思いますが、東京でも千住って江戸時代のさらし首を並べて居たお寺が有る荒れ地でしたのよ。
鈴ヶ森や八百屋お七さんの吉祥寺は
有名ですが、千住のお仕置き場の
さらし首はご存じ無いでしょうね
明治に成って千住がドウ変わって来たのかは存じませんが、私が居た長屋部落って周りが皆んな同じでしたから其れが普通だと思って居ましたのよ。
母が居なければ千住に居ても仕方が無いので、日光街道を歩いて居ただけでしたのよ。
芸者に成りたい
って、ヤー様が仰るのですから其う申した事にして置きますのよ。1ヶ月経って柳橋のお母さんが仰いましたの。
「 大した根性なのね。何時間も正座した痺れって死ぬほど苦しいのよ。一目見てモノには成るとは思いましたが、ヤー様にお似合いかも知れないのね。」
其れから一ツ橋の共立女子校に連れて行かれましたのよ。
学校って生まれて初めてでしたでしょう。慣れるも何も物珍しさで何も覚えて居ませんでしたのよ。最初の日は教壇の目の前の席でしたの。先生と睨めっこをして居ましたので、一番後ろの席に変わりましたのよ。字も何も皆目なんですから先生が付きっ切りで教えて下さいましたの。
岩崎の一人娘の触れ込みでしたので
周りの生徒さんはご迷惑だったと
思いますのよ。全部聖心の予備校の扱いですから、高校なんて言えない学校生活でしたのよ。