根津の寮に泊まるのは2年振りだった。6年前に楠さんと寮母として契約した時は35万円の月給だった。彼女が上野で稼いで居たのは3000円の立ちん坊なんだから、破格とも言えるお給料だったのさ。一度楽な買春に入ったら抜けられないのが大方の事情だったのさ。お金の感覚が汗の結晶とは違うので、ドウシテもルーズに成ると思うでしょう。其れも有るけど殆どは、育ちが影響してるのだよ。生活に苦しくても買春に足を踏み込むってのは、チョットやソットの事情では遣らない物なんだ。つまり、家庭を含めてルーズな生活の中に居たから、一番手っ取り早い買春を始めちゃうケースが多いのさ。
一旦この世界に入ったら、抜けられないのと同時に金銭感覚が普通じゃ無く成るんだ。何でもどんぶり勘定に成るのだね。そもそも単位が3000円だから、1円、2円は何時でも切り捨てる様に成るのさ。
明日稼げば好いさ
が何時も心の隅に有るから、お金の単位も其れに倣うと同時に、生活の単位も一日に成っちゃうのだね。楠さんも同じ傾向は有ったけど、初音町の家を借りたってのは何とか普通の暮らしに戻ろうとしてたのは感じてたんだ。毎日神田市場に顔を出して、30円のカレーライスを親方と並んで食べてたんだよ。240円で働きに来てた小母さんたちとも不思議にウマが逢ってたんだ。
殆どの人が子供を連れて来てたんだ。まだ朝鮮動乱の余韻が残ってた1953年なんだから、失業救済事業の240円の日当が基準に成ってた時代だったのさ。当時の野菜って肥料は汚わいなんだよ。神田市場に持ち込む野菜は埼玉の物が殆どだったのさ。千葉の野菜は総武線が秋葉で停まってたので両国に下ろされちゃうのさ。両国市場は神田市場の10倍もの広さだから、神田には千葉の野菜は入って来なかったんだ。
神奈川の野菜は全部汐留に下ろされるのだよ。汐留って新橋が貨物の集積所に成ってたんだ。其処から築地市場に鉄道が引き込まれて居て、神奈川からの野菜も魚も全部築地市場に下ろされて居たのさ。だから神田市場は空白な市場で閉鎖同然だったのさ。其処に目を付けた青森出身の八百屋の親方たちが乗っ取ったって事なのさ。
例に拠ってヤヤコシクテ申し訳有りませんね。楠さんを紹介したいと思ったんだよ。ハッキリ言うと御徒町を根城にして居た淫売なんだ。青森出身だから神田市場にも顔を出してたのさ。僕もお世話に成ってた関係で
根津の寮の舎監に成らないかって口を
掛けたのさ。10人の娘達との繋がりは
知ってるとは思うけど、買春が縁では
無かったんだよ。
連れて来たのは楠さんだったのさ。東北本線に乗り合わせて女衒が酔い潰れてる間に逃げ出したって訳だったのさ。前にも云ったけど、神田市場の倉庫の屋根裏部屋で働かせれば女衒に捕まらないで何とか成ったからだったのさ。好いも悪いも其れしか無かったんだ。だから同じ買春でも楠さんとの接点は殆ど切れてたんだよ。根津の寮を東京農協から分捕って10人の寮にしたので楠さんを寮の管理人にしたって事なのさ。続きは次にするよ。