岩崎弥太郎さんも余丁功君も、セックス物語に成っちゃったね。此れはアダルトフィクションでは無いのですよ。レッキトシタ抒情詩の心算で書いて居るのです。
暮れのシメとしてご退屈様を揺さぶる
フィクションには成りましたが
貴男も貴女もお若いのでしたら、年明けには
姫始めが定番なんでしょう
お楽しみを壊すようで申し訳有りませんが
此のフィクションは今だかって誰れも行こなわ無かった
実験小説なんですよ。
岩崎弥太郎さんと芸者珠樹のご両人と、余丁功と黒人マリーの二人の組み合わせを、
交互に登場させて交差させる中で
時間と場所を読者が固定観念を
持たない様にチリヂリに描写して
居る小説なんです。
過去の大文学の全てに言える事ですが、設定が大きく成れば成るほど、全物語を読破するのなんて有り得ないのです。読者の飛ばし読みは疲れない極意なんですが、だからと言って作者の意図が汲み取られたかは定かでは無いでしょう。
例えばディケンズの二都物語でも、其の上下二巻を読み切った人が居るでしょうか。僕はギロチンに送られる馬車で恋人のお姫様と弁護士先生が入れ替わった手口しか覚えて居ません。
確か二都物語の作者はデイケンズ
だと記憶して居る
程度の記憶なのです。つまり全ての小説は此処に描写されて居るどちらかの一組を長々と書いた小説なんです。ドウシテ全く異質の二組を交互に登場させられ無いのかが不思議なんです。
変化と興味が続かないから
でしたら変化を必要とし無いでかつ、興味が尽きない物をテーマにすれば好いのでしょう。其れこそセックスのみが其れに当てはまるのでは無いでしょうか。
セックスと財産に興味が無い方に読んで貰おうとは思いません。極めて不遜な言い方でしょうが、
此の小説をアダルトとお叱りに成っても
構いません。実験小説なんですから、
才能が溢れて居る何方かに
引き継いで頂けるのでしたらTOKYOMACは引き下がりたいのです。ブログに登場してから1年に成りました。やっと取っ掛かりの8年を過ぎたばかりです。
1958年が今に成って居ますから、此れからの展開は気が遠く成るほどの長距離に成るでしょう。二組を同時にとは申しませんどちらか一組を作って見ようとお思いの方が居たら、全てを譲りたいのです。
此れは壮大な実験小説
なんです。恐らく完成を見なくても世界が注目する
フィクションには成るでしょう。僕はチャレンジする価値は有ると思って居ます。年明けにお手を挙げる方が現れるのを期待して待ちましょう。