自由って何でしょう?北千住で暮らして居た16年って、今考えると自由では有りませんでしたのよ。本町小学校も本町中も何とはなしに通って居ましたのよ。別に給食目当てで行ってたのでは有りませんでしたのね。大きい方でしたのでクラスでは一番後ろでしょう。戦争中の小学校ってお授業と言ったら校庭に並らばされて校長先生が教育勅語をお読みに成るのを聞いて居るのが出席でしたのよ。朝礼が終われば教室で戦地に送る慰問袋を作るのしか授業は有りませんでしたの。先生方と言っても皆さん工場や埼玉県の農家に徴用されてましたので、退職為さったお年寄りのご婦人が、先生に復帰為さって居ましたのよ。男性って校長先生とお掃除の小遣いさんと、退役為さって軍事訓練の兵隊さんだけでしたのよ。生徒は教室に入るのが嫌で、校庭で遊んで居たのが毎日でしたの。お年を召した先生方も全員を集めるなんて無理なのは承知して居ますので、殆ど午前中はお遊びの時間でしたの。


    小学校の記憶って、北風が吹きすさぶ校庭に並ばされて校長先生がお読みに成る教育勅語の

          朕思うに

しか有りませんのよ。小学校と申しましても全部戦争の中に組まれて居ましたでしょう。授業って慰問袋に入れる子供のお手紙を書くだけでしたのよ。今の様にランドセルを背負って教科書と鉛筆ケースを持って行くなんて、別の国の学校なんでしたの。都心の学校は存じませんのよ。北千住って確かに常磐線の駅は有りましたが、其れは貨物の駅で一塊に成って住んで居た人たちは東京とは違う世界なんでしたのよ。小塚っ原のお寺には首のさらし台が残って居て、首塚が夜に成るとお化けが出ると言われて居ましたの。昼間も人影は少ないのでしたが、日が落ちると死んだ世界に成りましたのよ。


    荒川と隅田川に挟まれた貨物の操車場が有るだけの、取り残された町の趣でしたのね。兵隊さんに送る慰問袋にお手紙を書く事だけが学校でしたので、お昼には給食が有りましたの。皮が付いたままの蒸かしたサツマイモでしたのよ。其れしか出ませんでしたので子供ながらに隠して食べようとはしませんでしたの。出席は朝礼に並ぶのが全部でしたので、お年を召した先生方も形だけは校長先生の教育勅語の朗読を聞いて居ましたの。


    夜中のB29の空襲が唯一の娯楽でしたの。毎晩決まった様に千葉の習志野あたりに爆弾が落とされましたのよ。偶には貨物の操車場にも爆撃が有りましたが、爆弾が落ちて来る時のプロペラのシュルシュルって音を確かめて居れば落ちてくる方向は判りましたの。シュルシュルって音が消えると何秒か後にドカンと来ますので、隠れる方向と時間は子供でも覚えて居ましたの。夜の空襲も毎晩有りましたが、専ら習志野が狙われて居た様でした。其の内に空襲は昼間に限られましたのよ。飛行機雲を引いてキーンって独特の音を響かせて悠々と飛んで来るB29って、戦争とは別の世界でしたの。


    学童疎開は有りましたのよ。大人たちの話では、新潟や信州の温泉は私立の学校で占められますので、本町小学校は群馬の農村に分散して疎開されると聞きましたの。町内会のお偉い人たちが生徒を集めて居ましたが、子供ながらに冬の風が厳しい群馬で虐められるのを逃げて居ましたの。珠樹は貨物の集積所で、捨てられて居た貨物に紛れ込んで疎開から逃げましたの。東京には爆撃が有りませんでしたので油断して居ましたのね。3月の何日かは覚えて居ませんが。深夜の空襲は凄かったのでしたのよ。手を伸ばせば届きそうな低空で、大きなB29が爪楊枝をばら撒く様に焼夷弾を落としましたのよ。日本の反撃なんか元々有りませんでしたので、2時間くらい空襲は続きましたの。


    偵察が出来てたのでしょう。北千住は貨物の操車場だけが爆撃されましたのね。隅田川沿いにB29の反復爆撃が繰り返されて、火の海って凄い眺めでしたのよ。お腹を開いて燃える火にくっきりと照らされた大きなB29が、隅田川沿いに飛んで来たのですもの。子供が見て居ても川を目標にして爆撃してるのは明らかでしたの。バラバラに分解する焼夷弾と爆発する爆弾を交互に落として居ましたのね。怖いよりもきれいに飛んでいく飛行機のお腹から爆弾が落ちて来るのが見えるのって、紙芝居の何百倍もの見物でしたのよ。前の日に宣伝ビラが大量に撒かれましたの。お役所の人が拾い集めて居ましたが、空襲が有るから逃げる様にって書いて有りましたのよ。まさかと思ってましたのに、日本軍はナメラレテ居たのですね。チャンと予告してしかも超低空で隅田川沿いに一列に飛んで来たのが2時間も続けば、日本が負ける―――のでは無くて、既に兵隊さんは隠れて居るのを教えてると感じましたのよ。


    東京大空襲が東京を全滅させたと言われて居ますが、珠樹には半分ウソだと思いますのよ。確かに目標を決めての空襲だったのは判りますのよ。北千住から見て居ましても、主に赤羽から練馬に掛けて爆撃が集中して居た様でしたのよ。超低空で一列に並んで爆撃して居ましたのよ。しかも

        此れでもか、此れでもかって2時間も

        空襲が続いてたのに、反撃の形も

        有りませんでしたのよ。

学校では教育勅語の朗読と、慰問袋を作るだけしか有りませんでしたので、其れが日本なんだって子供でも思ってましたのよ。でも日本の中心は天皇陛下と東京だと思ってましたのに、此れほど徹底した爆撃に日本の負けを感じましたの。今に成って思えば、アメリカは反撃を周りから破壊して、最後に東京を破壊したのですね。其れは破壊と言うよりも国民にB29の低空爆撃を見せて、反撃が全くない決定的な戦争の事実を教える爆撃でしたのね。今でも日本のお偉いさん達とマスコミ・評論家先生はこぞってウソを並べて居ますが珠樹は騙されませんのよ。東京空襲って日本軍の反撃が無いのを教えた戦争でしたのよ。千葉県の習志野と東京の練馬には高射砲を配置して居たそうですのね。昼間飛行機雲を引いた高空からの爆撃は、其の二か所に集中して居ましたのよ。高射砲の射撃は散発的には有りましたのよ。見て居ましたら白い爆発はB29のはるか下で起きてましたのね。わずかに届いて居た黒い爆発も有りましたのよ。確かに数機のB29は煙を吐いて居ましたが、向きを変えて銚子の方向に飛び去りましたのよ。九十九里の沖に潜水艦を配備して、B29からパラシュートで脱出した乗組員を拾って居たのですって。

        其れも知らずに兵隊さんに届ける

        慰問袋を作らされて居た小学生って

        何だったのでしょう。今でも校長先生の

        朗読して居た教育勅語の朕思うに

が、耳にこびり付いて居ますのよ。お偉い先生方はお惚けしていますけど、珠樹は二度と騙されませんのよ。戦争の真実にね。