私って芸者なのかしら?チャンとお披露目はして下さいましたのよ。名前も勝海舟さんがお囲いに成って居た芸者の珠樹を継いでますのよ。柳橋の置屋さんが預かってた留め名でしたのね。柳橋の三業地って江戸時代から関東の総元締めの花街だったのですって。当時は隅田川が江戸の交通と警護の中心だった様なのね。其処を取り仕切って居ると言うのは、今の取り締まりを民間に委託するのと同じ扱いだったのですって。ですから江戸の花街なんですけど、南北の奉行所よりも重い役目を負わされて居たのですって。


    勝さんって江戸幕府の軍艦奉行だった様ですのね。黒船が来てから東京湾が表に出た様ですが、其れはお台場に砲台を作って防衛が目的の軍艦とは別の奉行所だったと教えられましたの。

    江戸幕府の軍艦奉行って勝さんでは無かったのですって。徳川の海軍って小さな木造船が軍艦とされてたらしいのね。長崎に来たオランダの帆船は、5メーターもの長さの錘を船底に吊るして居たので、遠浅の東京湾には入れなかったのですって。江戸幕府の軍艦は錘を付けて居なかったので隅田川を船溜まりにして居たのね。其処の監督が勝さんだったと聞いてますのよ。黒船に対抗するので鉄の軍艦を手に入れて海軍を作ったらしいのね。所が帆船の名残りで錘をぶら下げて居たので、隅田川には入れないでお台場を波止場にしていたのが、幕府の統率から外れて函館に行ってしまったのですって。ですから木造船の監督だった勝さんが軍艦奉行に昇格したらしいのね。天皇を担ぎ上げて倒幕に来た西郷さんと和睦の協定を品川で遣ったってウソなんですって。勝さんが軍艦奉行で事務所としていた柳橋の料亭で会談したらしいのね。

    「 囲って居た芸者珠樹を留め名にしてまで縛ろうって位、勝って男は成り上がり者だったのさ。お前が嫌なら別の名前にしても好いのだぞ。」

    「 珠樹って好きよ。置屋さんが預かってたお名前なんですってね。其れを使うのには置屋さんも買い取らなければらしいのね。すると何かと面倒が有るでしょう。籍を置いてる芸者さんが5人居らっしゃるそうなのね。其の方の身の振り方も決めなくては成らないでしょう。お茶とお花と踊りの名取り免許も置屋さんに有るって教わりましたのよ。其れを全部チャントするのって大変なんでしょう。」

    「 前から何かと関係してたのさ。ドウだ、名前だけでも珠樹としたら好いだろう。周りは何かとうるさく言って来るのだ。正妻にしたらとか、囲うのなら第二夫人にしろなんて言って来るのも居るのさ。高輪で暮らすのだったらいっその事芸者珠樹にして置くけど、お前が好いのだったら正式に籍を入れても好いのだぞ。」

    「 私はドウでも好いのよ。わがまま放題の娘なのよ。芸者でもお妾さんでも構わないのよ。高輪で暮らして勝っ手にさせて頂けるのでしたら、貴男のご面倒くらいは我慢できますのよ。」

    今に成ると捨てられ無いのが不思議でしたのよ。

        私って其れ位のお値打ち者なのよ。

        お爺さんのお守りくらいなら我慢して

        挙げても

なんて、思い上がってた娘でしたのよ。


    極端な話、お顔も洗ったことは無かったし、お箸だってちゃんと持ったことは無かったのですもの。北千住の貨物の集積所をねぐらに決めてたのよ。運動靴も下着だってこっそり言うけど全部盗んだ物だったのよ。良くシラミが付かなかったと思うくらいで、柳橋のお玄関で芸者志願を言ったのは、行き当たりばったりでしたのよ。髪はぼさぼさで洗ったことが無いお顔と手足だったのよ。其れをヤー様が高輪のお屋敷に連れて行って下さったの。女中さんに大きなお風呂で洗われたのに、大の字に成ってふて腐れて居たのよ。其の日から彼のクイーンズで一緒に寝たのよ。おもちゃにされるくらいは我慢しようと思ってたの。其れがお背中を向けただけで何も無かったの。張り合い抜けしてわがままで逆らって見たのよ。所が置屋のお母さんが呼ばれて、昼間は一緒に暮らして手取り足取りで教えられたのよ。髪の梳き方からお顔を洗う時、目をつぶってぬるま湯でパチパチするのまで教えられたの。おトイレだって女は前から後ろに拭くのも実地で教わったの。彼には逆らい続けたのに、お母さんの仰る事はチャンと聞いたのよ。今思えば其れが捨てられない為のおツトメだとしてたのね。何とズルい娘だったのかしら。