「 10人を引き受けたのは、青森の出だったからなんだ。仮に岩手や秋田の娘達だったら突き放して居たよ。青森の実情を知り過ぎてたから、ドウシテも自立を援けたかったのさ。」
此れって言って判らせるのはムリなんだ。政府の発表でも青森県は就職の殆ど無いに等しい県とされてたんだ。県全体が貧困なだけでは無いのだよ。労働者を必要とする事業所が無いのだよ。他の地方では何かしらの事業は有る物なんだ。青森の農業は2年続きで壊滅状態だったんだ。戦後いち早く小作制度が廃止されたのに、青森県には小作を抱える様な大地主は居なかったのさ。戦前の小作って、庄屋に農地を借りて歩合で作物を作る農民を言うのだよ。庄屋が抱えて居る農民とは違うんだ。歩合で農地を借りるのだから、作物が取れないと歩合も払えなく成るのさ。其れには高利貸が
無尽制度を持ち込んで小作民に担保が
要らないお金を貸したのさ。10回の分割
の返済なんだけど利子は安くても全員の
利子を着けて返済し無ければ成らない制
度なのさ。結局は夜逃げするか娘を売る
結果に成る悲惨な無尽制度なんだ。
「 日本の農作物ってコメが大半なんだ。小麦とサツマイモも少しは作って居たけど、野菜の殆どがお漬物に成る大根と白菜で占められてたのさ。乾燥した寒冷地でも収穫できる小麦が有ったので、満州の開拓が出来たのさ。中国も冷害に悩まされて居たのだが、日本で作って居た満州の小麦が毛沢東の中国統一に寄与したのだよ。」
「 知らなかったわ。満州で作って居た小麦が中国の冷害を援けたなんてね。」
「 だって中国の首都は南京だったのさ。北京って満州のハルピンなんだよ。其処を首都にしたのは日本が開発した小麦が取れたからなのさ。日本の小麦ってうどんの原料に成るだけで、お蕎麦と同じ扱いだったのさ。東北でも秋田まではお米が取れたけど、青森ではお米は取れなかったんだ。だからって小麦を作る農地も無かったから、僅かにリンゴを作る位だったのさ。青函海峡って二つの海流がぶつかるから豊かな海なんだけど、荒れるので有名な海峡だったのさ。戦争で漁船も全部軍に取られたのさ。海峡の荒海を結ぶ連絡船は全部アメリカに接収されたでしょう。だから残った数百トンの漁船が連絡船として使われてたのさ。だから手漕ぎの漁船では青函海峡には出られ無かったんだ。おかしな話だと思うでしょうが、海に囲まれた青森県の魚介類は全部北海道から持って来たのだよ。」
「 知らなかったわ。青森県って其んなに貧乏だったのね。」
「 僕も知らなかったんだ。神田市場は青森会の親方たちに乗っ取られたのさ。其処で青森の実情を知って、休みに東北本線で青森に行って見たんだ。驚いたのは何も無いと土地だったのさ。リンゴ畑が有るだけで、田んぼは愚か畑も無い土地だったんだ。青森の街にはMPのジープが走り回ってたんだ。青森駅で進駐軍が待ち構えて居て、DDTって白い粉を頭からパンツの中まで吹き付けられたのさ。女の人たちは別室で裸にされて、おま××のお毛けから頭の中まで真っ白にされてたんだ。三沢の飛行場にソ連を食い止めるアメリカ軍が10万人も居るって聞かされたのさ。東京でも見られ無いアメリカの土地に成ってたんだ。不思議だったのは売春婦は屯してるのに、アメリカの品物を売ってるお店は無かったのさ。聞いたら買う人が居ないからって云われたのさ。」
「 三沢の話は聞いてたわ。ベルリンで大失敗したので、ソ連の戦車を防ぐのは三沢でって計画だったそうなのね。何しろドイツ軍の機動部隊をレニングラードで防いだそうなのね。200万人もの犠牲者が出たのに、市民も総がかりでドイツ軍を防いだのですって。モスコウでは必死に戦車を作って、10万両で一気にベルリンに殺到したのですって。アメリカが油断してる間にベルリンはソ連に占領された二の舞を三沢で防ぐって言われてたのよ。青函海峡にアメリカ軍の全軍艦を集結して青森でソ連を防ぐ作戦って聞いてたのよ。そうだったのね。三沢しか無いとは聞いてたけど、青森って其んなに貧困だったのかしら。」
「 青森会の親方たちに会わなければ僕も知らなかったんだ。だからあの10人が、1万円を握り締めて必死に足を開いたのも納得してたのさ。楠さんは3000円の買春でお金が溜まると遊び歩いてたんだ。あの子達は拾ったワンピースを繕いながらお金を溜めてたのさ。一緒に暮らしてたら一生の付き合いに成るのは覚悟したのさ。マリーも青森に行ってホントを知っといて欲しいのさ。」
「 おかしいとは思ってたのよ。あの子達を知らなければってカナダに連れてったのに、マリーとは違うのに戸惑い続けたのよ。其んな背景が有るなんて知らなかったわ。行って見るわ。まだマリーの従軍履歴は生きてるから、三沢の実情も調べて来るわ。日本でも横田と並ぶくらいの基地だって聞いてるから、マリーだったら何処にでも入れるのよ。やっぱり行くしか無いのね。」
今日の所は其処までだったのさ。