「 夜中の2時には府中に行かねば成りませんので送って行きます。」
かなり出来上がって居る親父さんをビュイックで送って行ったのさ。お店は川越街道の東武練馬の傍なんだ。戸田からだったら5キロくらいの近さなのさ。キャンドレは返還されて居たけど、戸田の火葬場からの道は途中で農道に成って居て、車では通れなかったんだ。此れが使えれば成増まで5分くらいで行けたのさ。農道だからトライアンフは通れたけど、ビュイックは遠回りし無ければ行けなかったのさ。
東武練馬に抜ける道は有るけど、途中に高射砲陣地の跡や戦闘機の掩体壕が邪魔をしてたから、真夜中で通れなくて引き返すのにも苦労する道だったのさ。環七まで戻れば赤羽までの道は有ったよ。だけど練馬の小竹町の先は舗装して無くて、泥んこの道だったのさ。泥に嵌った三輪トラックなんかが放置されてた環七だったね。泥の中だから誰も近づけなかったんだ。途中に砲兵工廠の跡地が残って居て、西部練馬って戦争中は武蔵野線と言って貨物専用の鉄道だったのさ。砲兵工廠から西部練馬に引かれた陸軍の引き込み線が有ったんだ。其処は徹底的に100ポンド爆弾で破壊されてたから、一旦志村警察まで戻って大山の陸軍病院を迂回するのが無難なコースだったのさ。
今では考えられ無いと思うでしょう。だからトライアンフは便利だったのさ。デカいビュイックだと練馬の畑の中を突っ切るのは運任せだったのさ。高射砲陣地の解体が有ったら通行止めを引き返すのにも苦労したのさ。だからまごまごすると常盤台まで引き返して迂回した方が無難だったのだよ。オリンピックの為に開発は進んでたけど、練馬は後回しに成ってたんだ。ついでに言っとくよ。練馬区って戦後の改革で板橋区から切り離されて23区に作られた新設区だったのさ。警察も石神井警察が警視庁管内の80何番目かの警察として作られたのさ。高島平警察が確か90番目だったと記憶して居るよ。光が丘警察が99番目の警察だって土地の人がボヤイテタ時代だったのさ。
思い切って志村警察まで17号を引き返して常盤台に出たのさ。トライアンフで行けば5分の距離を30分懸けてお店に辿り着いたんだ。心配した奥様が出迎えてたよ。
「 あらあら、此んなに酔ったのは初めてよ。」
「 済みませんでした。今週から独り身に成りましたので、つい話し込んで仕舞ったのです。考えたら此処10年は、誰れかが傍に居たのです。一人に成って男友達が居ないのに気が着いたのです。僕の父親位歳は離れて居ますが、初めて心が許せる男と飲んだのです。奥様とは何度かお目に掛かって居ますね。申し訳無いのですが、此れから度々呼び出すかも知れません。僕は我儘な男ですから、気が合う仲間も居なかったのです。」
笑われたんだ。
「 好いのよ、主人も同じなのよ。家は娘二人の女所帯でしょう。女って私くらいの歳に成ると男は要らないのね。女が傍に居れば其れで好いのよ。主人には悪いけど、帰って来てもぼんやりしてるだけでしょう。此んなに飲んだの見た事も無かったのよ。ハッキリ言うとお店だって火の車なのよ。手放したって残るのは借金位でしょう。貴男功ちゃんって仰るのね。お店を続けて居るのは貴男の為かも知れませんのよ。」
愚痴として聞くには重荷過ぎたのさ。
「 此うしませんか。此のビュイックは珠樹の車なんです。僕が使わせて貰う様に成ってからナンバーをオーストラリア大使館に変えて有るのです。此れでしたら日本の何処に行っても大威張りで走ったり停めたり出来るのです。今は建設省の荒川左岸のジープを使ってますので必要が無いビュイックなんです。暫らく預けますから使って呉れませんか。必要経費として奥様に此の小切手を渡して置きます。お二人のお嬢さんの様々な経費として3000万切って置きます。ご主人を呼び出すのも此れでご勘弁願えませんでしょうか。」
僕もシドロモドロに成ったよ。奥様は小切手を見てお顔が真っ赤に成ったのさ。余程苦しんで居たのだね。長居は無用だったので東上線の最終電車に飛び乗って池袋に向かたんだ。