「 其れが功の言う程深刻な話なのかしら。」
「 マリーは娘たちが買春に逃げた背景には、集団就職と称して織機の糸紬で爪を潰して包帯で両手をグルグル巻きにされて解雇される娘が居たのを知らないから其う言うのだよ。1953年ってのは小学校を卒業した娘達には地獄が待ってたのさ。一部の娘達では無いのだよ。青森の疲弊はどん底だったのさ。父親は出稼ぎに行ったままで帰って来なかったんだ。東京では毎日山谷で人夫が募られてたのさ。日当240円でね。
人夫出しと言って、土建業者の求めに
応じる人夫を提供する業者
も居たのだよ。やっぱり失業救済事業と同じ240円でね。雨の日には仕事が無いから働けるのは20日か其れ位だったのさ。到底青森に仕送りなんか出来ないでしょう。だから働けなく成ったお年寄りは、進んで恐山に行ったのだよ。三沢の飛行場にはソ連の侵入を防ぐって名目で、10万人もの進駐軍が来てたのさ。青森の街にはMPが巡回して居て、進駐軍の落とし前なんか無かったんだ。青森が最前線に成るって云わば、沖縄と同じ扱いだったのさ。だから集団就職で織機工場に行っても、数年で爪を潰して解雇されるのは知ってたんだ。好いかい、仮に何十年後に娘たちが集まったら、集団就職から逃げてた10人は仲間には入れないのだよ。買春を云われるのでは無いのさ。逃げてた卑怯をなじられるのだよ。だから何が有っても青森には戻れないのさ。」
「 其んなだったのね。戦争に負けた悲劇とも言えるのね。」
「 其処が違うのだよ。2年続きの冷害で、青森はどん底に居たのさ。漁に出たくても津軽海峡の荒波に耐えられる漁船は、海峡の連絡船として徴収されて居たのさ。津軽海峡って、太平洋と日本海から押し寄せる2つの親潮がぶつかるから、手漕ぎの漁船では太刀打ちできない海なのさ。北海道のニシン船は無傷で残ってたから漁は出来たのさ。だから青森は秋田と北海道からの担ぎ屋の食料で細々と食い繋いでたのだよ。男は関東に出稼ぎでしょう。帰って来れないから娘を売るしか無かったんだ。政府は其の対策として愛知の織機業者に集団就職を依頼したのさ。其の末路をあの子達は知ってたから、吉原遊郭の集団就職に逃げたのさ。織機で爪を潰して首に成るよりはマシだとね。時代が変われば彼女たちはやり玉に挙げられるのだよ。だから2度と青森には帰れないのさ。」
「 判ったわ。買春が問題では無いのね。集団就職で愛知の織機工場に行くのを逃げたのが問題なのね。」
「 其の通りなんだ。でも彼女たちも心に秘めてる暗闇なんだ。其れを何とかするのに僕はお金を稼いでるのさ。勿論マリーも使って欲しいけど、其れを彼女たちの新生活に生かして欲しいのさ。あの子達は知ってる筈なんだ。楠さんとは違う問題を抱えてるのをね。此れから6年掛けて何が希望なのかを聞いて欲しいのさ。マリーだったら相談にも乗れるだろうし、青森と縁をキッパリ切る手段も考えられると思うのさ。難しいのは承知だけど、あの子達にも予想外の資金の裏付けを使って何とかして欲しいんだ。単に故郷を捨てるのとは違うのを、口に出さないで解決して欲しいのさ。」
其れしか言い様が無かったのさ。
「 僕が神田市場で働いたのはお百姓さん達の実情を知る為だったのさ。殆ど無給で働いたんだ。仕事と言ったら野菜に付いて来る蛆虫と回虫を洗い流すのが殆んどだったのさ。埼玉の野菜の肥料って、東京のお便所の汚わいを桶で汲んで畑の溜め桶で発酵させた肥料だったのさ。だからハイが産んだ卵が孵って蛆虫が湧いてたのさ。回虫が居るのが普通で、其れを1日掛かってドブに流すのが僕の仕事だったのさ。其の中から底辺のお百姓さんの苦労を知ったのさ。だから青森の出稼ぎの人たちも知ってたし、現実のすさまじさも知ってたんだ。楠さんに彼女たちを紹介された時も、見捨てる事は出来なかったのさ。市場の買春をあっさり認めた裏の事情も知ってたんだ。今と成っては富裕層からお金を巻き上げて、青森からは離れた新家庭を作る応援をするしか無いのだよ。」
其れしか言い様が無かったのさ。