冷静さってのは、言葉の上では何とでも言えるね。僕はマリーとも娘達とも間を置く事で客観的に考えられる様に成ったのさ。マリーが好い例だけど、娘たちを僕の関係が深い彼女たちと勘違いしてたのさ。だから根津中の3年1学期からカナダ旅行に連れ出したんだ。其れは好いとしても、深入りが過ぎたのさ。其れが賢いのに増幅されて客観的に見るのを忘れちゃったんだ。本来マリーも僕も孤独の中で生きて来たのだよ。娘たちは自分から進んで孤独を選んだのさ。だからマリーや僕とは少し違うんだ。人付き合いを嫌ったのでも無かったし、自然に孤独の道を歩き出しただけなのさ。其れには10人の仲間が居たのが大きく影響してるのだよ。良く

        多感な年齢の娘達

で、何でも其れに当て嵌めようとするけど、多感よりも自立心が優って居たとも言えるのさ。此れは多くの少年少女に言える事なんだ。


    若いから自立までは考えないってのは、当てはまらない事が多いのだよ。じゃあお年を召してる人生の指導者のお立場の人が、他に頼らないと言うかは言えないのだよ。何も登山で其れを言うのじゃ無いのさ。兎角行政に頼るのが普通なんだ。何かといえば警察でしょう。事件を自分で解決しても褒められないね。

       其の前に警察に知らせなければ

って、大の大人は皆んな其れを言うね。110か119に電話するのが先だってね。何とはなしに道端に座り込んでたお年寄りは、救急車が到着すると怒り出すさ。

      疲れたからちょっと休んでただけだ

とね。余計なお世話をした小母さんは、其んな処に寝転がって居たら普通じゃないと思ったどこが悪いのよとね。119番の救急車は死んだ人か疲れて寝転がってる人は乗せて行かないよ。自立できる人を病院に連れてったらドヤされるのがオチだからね。


    娘たちは自立の道を選んだのさ。十文字までは10人の絆が固まってたから其れでも良かったのさ。大学と成ると、夫々の思いは違って来るのさ。其の時相談できる大人が必要に成って来るんだ。相談に乗ると言ってもあくまで自立がご本人たちの望みだから、何処まで手を貸すのかが難しいのさ。マリーは正直すぎるんだ。僕の様にチャランポランの普段だったら彼女たちも其れなりに付き合って来るのさ。恍けで返事をウヤムヤに出来る時も有るのだよ。神田市場の買春だって、半分も聞いて居れば好いとしたのさ。何しろ事は買春を勧めるのだよ。彼女たちが買春するのだから、彼女たちの意志に任せるしか無いのさ。夫々に半分の了解が有って巧く行ったんだよ。マリーでは其うも行かないのさ。どっちが良いのかは難しいと言えば其の通りなんだ。基本は十文字に居る内は、10人の連帯は崩れないって事なのさ。大学は其うも行かないけど、世の中に出てからの方が遥かに複雑に成るのさ。其れを今の内から覚悟して置いて呉れないと困るのさ。