「 嬉しいな。初めて二人っ切りに成れた気がして来たぞ。」
「 私も其うなのよ。高輪のお屋敷でも、絶えず誰れかに監視されてる様な気がしてたのよ。此処に来て初めて誰も気にし無いで暮らせる気に成ったのよ。」
「 ワシも其うなんだ。いや、もっと酷かったとも言えるのさ。畠山から岩崎に養子に出されただろう。加賀の家訓に従って岩崎が世襲を嫌ったからだとは知って居たが、其の期待に応えねばと言う重圧が絶えず頭の中から消えなかったのだ。何とか遣るだけの事は果たしたと思っても、長い重圧からは逃れられなかったのだな。岩崎に潰されたとは思いたく無くても、枠の中から飛び出す勇気が無かったのだ。不思議だな。此処にはシチリヤの職人だけでは無いぞ。ローマ支店の岩崎の職員も張り付いて居るのさ。其れが少しも気に成らないからドウ成って居るのだろうと思うのさ。」
「 此処に来た時はご近所さんの目が気に成ったのよ。住みたいけど此の方たちと巧くお付き合いして行ける自信は少なかったのね。今は気にし無くても皆様の方から近づいて来る気がして居るのよ。頭の中から其の思いが一枚ずつ剥がれて行くのね。今はホテル住まいですけど、お家が出来たら貴男を洗って挙げるお風呂を沸かして置かなくちゃあって思いが湧いて来るのよ。高輪では何方かがお風呂を沸かして居たでしょう。此れからは私が沸かして貴男をお迎えするんだって気がして来るから不思議なのよ。」
「 ワシにも判るのさ。いやむしろ、家もお前も忘れて仕事に打ち込めるのだ。ワシが居なくても職人たちはチャンと家を作って居るさ。其れでもワシの役割は、職人に手を貸せばいいのだと思えるから不思議なんだな。古い屋根を壊して居る時は邪魔に成らない様にして居たのに、今は気にし無くてもワシの仕事が有る様に思えるのだ。前はお前の家だからと思って居たのに、今は二人で住む家だからと感じて居るのさ。」
「 そうよ、初めてお家が持てたのよ。私って皆んなと違ってお花を飾ったりペットを飼ったりするのが嫌いだったのよ。お花には虫が付いて来るでしょう。其れがお部屋の中を飛び回るのがイヤだったのよ。犬を飼えば可愛いのよりも手が掛かるのが嫌いでしたのよ。お散歩させてる人を見ると犬の汚れが其の方の汚れの様な気に成って、ペットがお家の中で汚れをまき散らして居る絵が頭の中に浮かんで、遣り切りない思いから抜けられ無かったの。今でも其の思いは持って居ますけど、小鳥や金魚なら飼っても好いって気に成ってるのよ。」
「 そうかペットだな。ワシも好きには成れなかったんだ。高輪でも便利な機能を追った心算は無かったのだ。屋敷は森に囲まれて居るだろう。
なんで此処に花や動物を
持ち込まねば成らないのだ
の思いが強かったんだ。此処にアルファロメオは持ち込めないから、小さな庭に花を植えても好いなとは思って居るのさ。お前が花を育てている姿が頭に浮かぶのさ。日本と違って垣根は無いのが普通だろう。外から見られてもお前を独占できるのが嬉しいのさ。可笑しいのだな。アルファロメオを預けるガレージを探して居たのに、ロメオが無くてもチャリンコで街を走れば好いと思えるから不思議なのさ。此処に住むと言うのは其うした暮らしも有ると思う様に成って来たのさ。」
そうよ、何もかも変わって来たのよ。私も珠樹に成る前に戻った気に成るから不思議なのよ。彼とのスタートから遣り直したい気に成って来るのよ。ガリガリの私を求めて来た男に甘えて見たいのよ。珠樹は仮の姿で、ホントは彼を探して柳橋に辿り着いた16歳に戻りたいのよ。此処だっら其れが出来るって思うのよ。
「 其の気に成ると人の細胞って逆戻りできるのね。私16歳に戻りたいのよ。一心に貴男を見詰めていると、毎日が逆走してる気に成るからおかしいのよ。貴男も私の何倍ものスピードで逆走してるのが見えるのよ。そうよ、それ程偉くなかった青年に戻って欲しいのよ。岩崎の係長でも好いの。珠樹が欲しいのは部長で課長でも無いのよ。平の弥太郎さんで好いのよ。私も珠樹を遣り直すから、貴男も弥太郎さんを遣り直して欲しいのよ。」
其れが本気に成って来るからタオルミーナの不思議にして置きましょう。