1958年は吉原遊郭は政府公認の売春宿だったのさ。江戸時代から300年続いてた売春宿で、何回も火災に見舞われて居たのだが、浅草の消防隊も吉原には入れなかったので、其の度に花魁を初めとして数百人の付け人や売春婦たちが焼け死んだのだよ。江戸幕府も公認の閉鎖社会だったから、燃え盛る炎からも逃げ出す事も出来なかったのさ。只見つめているだけだから火を逃れた売春婦たちが小さな池の中で折り重なって焼け死んだのさ。其れを見て居ても江戸の火消も役人たちも、中に入ろうとする野次馬を制止するだけで全員が焼け死ぬのを見守って居たのさ。此れは明治に入ってからも同じだったのさ。侍たちが吉原に入るのも、刀を預けて丸腰で入らなければ成らなかったんだ。浅草側の吉原大門と北側の木戸門が有るだけで、完全な閉鎖社会だったんだ。だから中で何が行われて居たのかの記録は一切ないのだよ。只言われて居たのは、

        生きては吉原から出られない

ってだけだったのさ。


    「 売春が好いとか悪いとか言うのじゃ無いのだよ。江戸時代からの慣習だって言っても、政府が買春を認めて居たのは現実だったのさ。其れを娘たちが望んだとは思いたくないけど、青森の小学生が愛知の機織り工場に集団した時代だったのさ。政府の失業救済事業の日当が240円だったから、其れが日雇いの土方や集団就職した娘たちの給料だったのさ。日給240円で働いて、其の中から食事代や制服代を引かれたら、仕送りどころが残るお金は無かったんだ。だから残業して切れた糸を結ぶのに爪を潰すしか無かったんだ。其れを見て居た娘たちが、楽な吉原就職を望んだとしても仕方が無かったのさ。そりゃ娘を女衒に売り渡した親が悪いのさ。娘たちも日給240円で働きたくは無かったのだろうさ。だからと言って娘たちの仕事は、東京の一杯飲み屋で男にお酌しながら、屋根裏部屋で座布団を枕にして買春するしか無かったのだよ。女中奉公を世話するところも有ったけど、其処だって主人の慰み者にされて、妊娠を中絶すれば追い出されるから楠さんの様に淫売に成らなければ活きてはいけ無かったのさ。其れが1955年代の日本の現実だったのだよ。」


    「 言い返す様で悪いけど、日本だけが買春で特別だったのでは無いのよ。有名なフランスの小説で、マリー・テレーズが書いた

        ある娼婦の秘密の生涯

を読んでご覧なさい。フランスの娼婦は政府公認で、パリ警察の鑑札が有ればヒモに脅かされなくても街で買春が出来たのよ。此れは買春とはちょっと違うけど、ドリス・ピルキングトンが書いた

        裸足の1500マイル

ってオーストラリアのアボリジニの小説なんかもっと凄まじい内容なのよ。アメリカの捕鯨船の乗組員が、アボリジニの男を殺して娘たちを捕鯨船で輪姦した物語なのよ。逃げ出した娘たちをアボリジニのおマワリが追い掛ける物語りなのよ。親を捕鯨船の乗組員に殺されたから逃げだした娘を、其のアボリジニが追い掛けるなんて、考えられない残酷物語なのよ。捕鯨船に捕まれば輪姦されて海に捨てられるのよ。此れって買春よりも悲しい女の悲劇なのよ。」


    「 うん、其れは読んだ事が有るよ。オーストラリアでも売られてから呼んだのさ。何も買春は日本だけ特別だなんて言って無いよ。オリンピックの開催に合わせて吉原は無くす法律が作られてるそうだけど。吉原が無くなっても買春は無くならないね。女をお金で買う男が悪いと言えば其れまでだけど、楠さんも娘たちも楽な商売を追い掛けたのは事実なんだ。其れは責めないけど、僕は神田市場で青森会の親方相手に1万円の買春を斡旋したのだよ。楠さんの相場は3000円だったから、1万円を吹っ掛ければ買い手は無くなると思ったんだ。所が娘たちは進んで親方を品定めして選んだのだよ。屋根裏部屋から悲鳴が聞こえたんだ。其れって親方と69を遣ってオサ×を吸われてた悲鳴なんだよ。親方のチンポを口に突っ込まれてた悲鳴だったのさ。娘たちが強かだっと言って済ませるセックスでは無かったんだ。僕の本心を言うと、初音町で10人揃って開いた足に感動したのだよ。まだ産毛が金色に光ってたのに欲情しちゃったんだ。バカだったね。

        楠さんには吉原に戻して来い

って言いながら、娘のヌードを見たら吉原でイタブラレル位なら、神田市場の屋根裏部屋で親方の愛人気取りでセックスした方がって卑怯な考えを持ったのさ。娘たちに売春を斡旋した責任じゃ無いのだよ。娘たちの金色に輝く産毛で欲情した僕を恥じて居るのさ。だから何としても大学卒業まで、やり遂げて見たいのさ。」

     マリーの目から大粒の涙が零れたんだ。