私は、かねてより言っていた、
 安倍総理の最大の外交的功績は、総理就任以来、日中首脳会談をしていないことだ、と。

 とはいえ、本日の午後、二年半ぶりに日中首脳会談が北京で行われると聞いている。
 そこで、会談が終われば、どうせいつものように、日中和解ムードが垂れ流されるのであるから、その前に言っておく。

 三十六年前の一九七八年(昭和五十三年)八月十二日、北京で日中平和友好条約が締結され、十月二十二日から二十九日まで、東京での批准セレモニーに出席する為に{ケ小平が中共首脳として初めて我が国を訪問した。
 そして、朝野は「日中友好」一色になった。
 その結果、我が国は、世界最大の「反日国家」と「核ミサイル大国」を生み出す世界最大の資金拠出国となった。
 即ち、「日中友好」は、我が国と東アジアの最大の脅威としての共産党独裁国家を生み出す高速道路であった。
 
 そこで、この危険な「日中友好」ムードが生まれる直前の条約締結交渉の最中に何があったかを思いだそう。
 

以下、西村眞悟HP内「眞悟の時事通信」にて。
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1035