陸軍士官学校五十三期、帝国陸軍騎兵少佐 梅澤 裕殿は、大東亜戦争における沖縄戦終結後の六十九年間にわたって、帝国軍人としての名誉を守り抜かれ、
平成二十六年八月六日、波乱の御生涯を閉じ、英霊の待たれるところに旅立たれた。
 享年九十九歳。
 
 そして、本日八月十日午前十時三十分、棺が覆われ、勇士は見送られた。
 勇士は、行かねばならないところに行かれたのである。

 その時まさに、葬儀場(西宮市)の西五十キロの地点(相生市)に台風十一号が上陸し、梅澤少佐の棺は、暴風雨の中に出発していった。
 前夜足摺岬沖で足踏みしていた台風十一号は、未明に土佐に上陸し、この梅澤少佐の出棺に合わせるかのように、一挙に北北東に進路をとって駆け上ってきたのだ。
 暴風雨、まことに、勇士の出発にふさわしかった。

 昭和二十年三月、梅澤少佐は、アメリカ軍襲来迫る沖縄県慶良間列島座間味島守備隊長であった。
 その時、島の住民は、集団自決をするために、梅澤隊長に、自決用の小銃や手榴弾や毒薬の提供を求めてきた。
 

 以下、西村眞悟HP内「眞悟の時事通信」にて。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=999