昨日に続き、楠木正成に関して書いておきたい。

 まず、延元元年(一三三六年)五月二十五日、湊川に於いて自決を決意した楠木正成と弟の正季そして共に自決した郎党七十余人が誓った「七生報国」について、
 
 この誓いは、我が国が万世一系の天皇を戴く国であることと不可分である。
 正成らは、我が国が万世一系の天皇を戴く国であるから、生き返って天皇のために朝敵を撃つと誓ったのだ。
 同時期、南朝の北畠親房は、「神皇正統記」を書き、その冒頭に「大日本は神国なり。天祖始めて基を開き、、日の神長く統を伝え給ふ。我が国のみこのことあり。異朝には其の類なし。よって神国と云ふなり。」と断じた。
 楠木正成等の「七生報国」の誓いは「大日本は神国なり」との確信と不可分である。

 次に、昨日、楠木正成の湊川の戦いと、三百六十六年後の大石内蔵助ら赤穂浪士の吉良邸討ち入り、五百四十二年後の西郷隆盛等の西南の役、六百三十四年後の三島由紀夫らの市ヶ谷谷における自決、とは同じであると書いた。
 
 では、何が同じなのかと言えば、死生観と戦闘思想において、同じである。
 ここにおいて、我が日本は、支那と全く異なる。
 

 以下、西村眞悟HP内「眞悟の時事通信」にて。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=971