一九八九年(平成元年)十一月十日、
連日、「民主改革」、「自由選挙」を求める大規模な集会が東ベルリンで繰り返される中で、一九六一年(昭和三十六年)八月十三日以来二十八年にわたって東西ベルリンを分断していた「ベルリンの壁」が崩壊し、東西ドイツが統合に動きだした。
 その時、ソビエトKGB職員のプーチン(現ロシア大統領)は東ドイツのドレスデンで活動していた。
 そして、ベルリン郊外に司令部をおいて東ドイツに駐留する十九個師団三十八万のソ連軍を、東ドイツを確保するために動かそうとしていた。
 
 一九六八年(昭和四十三年)、ソビエトは、自由化を求めたチェコスロバキアの首都プラハを一夜にしてソ連軍戦車で埋め尽くして「プラハの春」を制圧した。
 二十一年後の一九八九年、それをベルリンでしようとしたのがKGBのプーチンである。
 しかし、モスクワにはプラハの時にいたブレジネフはいなくて、ゴルバチョフがいた。それゆえ、ベルリンはプラハにならなかった。
 
 それから二十五年、現在モスクワに君臨しているのは、二十五年前にドレスデンにいたKGB職員ウラジミール・プーチンである。
 そして本日の朝刊は、ロシアのウクライナ軍事介入を伝えている。


以下、西村眞悟HP内「眞悟の時事通信」にて。
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