十七日、福島県南相馬郡飯舘村を訪れた。

 平成二十三年三月十一日の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の後、時の菅直人内閣は、「放射能汚染」を理由に、飯舘村全村民の退去を命じた。
 しかし、その「放射能汚染」は、人に有害な「汚染」の程度に達していなかった。従って、私や特定失踪者調査会の荒木和博さんなど、旧民社党系の仲間は、平成二十三年六月、安全な飯舘村を守らねばならないという思いで、放射線医学専門のドクターと共に退去準備中の飯舘村を訪れた。

 飯舘村に入って、村役場前、細川牧場など放射能値を計測し、村は安全であり村民退去の必要性なしとの結果を得て、村役場で菅野村長に会ってそのことを伝えた。
 このことは、前に本通信で書いたので詳述しないが、その後の結果は、内閣のしつこい強制により、結局、全村民が村から退去して以後現在まで三年近く、村に村民はおらず、田畑や山林は荒れ放題である。
 元気なのは村の猪や猿だ。当たり前だ、宇宙飛行士の調査からも明らかな低線量率の放射線はむしろ体によいというホルムシス効果を、退去しなかった猪や猿が享受しているのだから。

 以後私は、たびたび飯舘村を訪れ、この度の訪問は五度目になる。
 まず、十七日の村内と近接地と十八日の今私のいる大阪府堺市の放射線量は以下の通りだが、その前に、放射線量が安全か安全でないかの基準を、放射線防御学専門の札幌医科大学高田純教授の著書から引用しておく。
  
  

以下、西村眞悟HP内「眞悟の時事通信」にて。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=933