例年の通り、八月十五日を靖国神社境内で過ごした。
 午後三時に、参集殿前に集まった思いを同じくする四百名の方々と共に、昇殿参拝をさせていただいた。
 まことに、英霊の思いが心にしみる参拝をさせていただいた。

 午前十一時過ぎに靖国神社境内に入り、二の鳥居の手前で正午を迎え、黙祷した。
 正午の直前になると人々は動きをとめて佇立し、静寂が境内をおおった。
 そして正午の時報と共に、境内に鎮魂のラッパが吹奏され黙祷に入った。

 その時、参拝者は横六名ほどの列となって拝殿から二の鳥居を越えて並び、炎天下、静かに参拝を待っていた。
 午後になって、その列はもっと長くなった。後ろの参列者が拝殿の前で参拝できるまでに一時間以上かかる列だった。その列は午後五時頃になっても、まことに静かに続いていた。
 

 本年の靖国神社には、実に多くの人々が参拝に訪れたと思われる。
 以前、小泉総理が靖国神社に参拝して、中韓と日本のマスコミが騒いだ時には、前年に比べ一挙に参拝の人々の数が増えたが、本年の参拝者の数は、それより多かった。
 しかし、喧噪はなかった。
 本年八月十五日の靖国神社で印象深いことは、
 きわめて多い参拝者の、静寂である。
 
 このことは、参拝する日本人が、
 虚偽やプロパガンダに左右されずに、
 民族の血に根ざす痛切なる歴史の実相を見つめていることを示していた。
 
 即ち、日本人が、戦前と戦後の連続性を取り戻しつつあるのだ。 そして、この回復された連続性の中に、
 我が民族生命の原始無限流動の力の源泉がある。
 さらに、この靖国神社境内の、
 参拝に向かう多くの人々の静かな姿の前では、
 総理大臣が参拝するかしないかは、次元の違う些事にすぎなかった。

 さて、安倍総理大臣は、
 八月十五日、靖国神社に参拝しなかった。
 その理由は、中共と朝鮮(韓国)に「配慮」したからである。
 同時に、参拝に反対する自公の連立構造と自民党内と官僚組織からの「もっともらしい圧力」を受け入れたからである。
 
 しかし、民族の連続性を回復し英霊との痛烈なる一体感をもつ日本人から見れば、「くだらん配慮」であり「馬鹿な圧力」である。
 だから、「次元の違う些事」に過ぎないのだ。

 とはいえ、総理大臣が、靖国神社についての「配慮」と「圧力」を受け入れたということは、明らかに自ら言う「日本を取り戻すために克服すべき戦後体制」の正体を靖国神社を通じて白日の下に曝したことになる。
 即ち、安倍君、
 「克服すべき戦後」とは、「恵まれた君」そのものではないか。