{59F5DEA5-1B6F-434B-B724-08D0D74FF167}

 

{C83DFA26-3EE5-4F88-95DB-06BC65E451F7}

 

 

昨日、七月大歌舞伎 夜の部、「駄右衛門花御所異聞」を観てきました。

 

 
 
長男 勸玄くんの出演、親子宙乗りも話題となっているこの演目。
通し狂言「駄右衛門花御所異聞」は、1761年に初演された話をもとに、海老蔵さんが復活させた狂言です。
 
話は勿論、所々に生音ではない効果音を使っていたり、スクリーンに映像を投影するなど、歌舞伎の演出に 現代の技術による手法を柔軟に加えながら、より彩り豊かな表現がなされていて、とても美しい舞台でした。
 
 
 
海老蔵さんご自身が初日を迎える前にブログで書いていらした、
〜お役の台詞がいちいち今の私のヤワなハートに刺さるんです〜
という言葉。
 
三役なさるうちのひとつに、死にゆく女房を腕の中で見送るシーンがあります。
来世も…など、今の海老蔵さんにとっては、様々な状況や感情が重なるであろう台詞が続くそのシーンになると、色々なことを思い出してしまい、なかなか台詞が入ってこないと、書いていらっしゃいました。
 
その場面、
本当に、本当に、苦しそうでした。
 
 
ここ数年、毎年一月に睨んでいただきに行くことからはじまり、年に数回は海老蔵さんの舞台を拝見してきました。
 
背負っていく名前や表現の重みをより濃密に発展させ繋いでいく覚悟を、年々強く感じさせ、一瞬一瞬に全身全霊を捧げた表現をされてきた海老蔵さん。
神々しいくらいの気迫を浴びることが、私にとっての浄化でもあり、表現することへの大きな手本でもあったのです。
 
 
ですが昨日は、これまでに見たことがないくらいに…気力でなんとか生気を保とうとするのがやっと、という姿。
 
しっかりと踏ん張って立つことも、魂の声を轟かせることも、とても出来る状態にないことが伝わってくる。
それなのに…
 
一瞬一瞬を気力で繋いで繋いで、睨み、立ちまわり、声を轟かせ、悲しいほどに美しく、一場面、一幕、一演目へとたどり着くその姿は、
「演じることを使命として生かされている人」であることを、より強く感じさせたのでした。
 
 
そしてそれは、息子である勸玄くんにも。
 
白狐に扮する勸玄くんが花道を跳ねてきて、すっぽんの上で立ち止まり、台詞を言うのですが、
昨日はその場所までたどり着いたものの、しばらく言葉が出てこなくて…。
 
間が空いてしまうと、続きを始めるのに勇気がいるものですが、彼は、よしっ、という顔をすると、大きく息を吸って、大きな声で台詞を言いきりました。
 
 
板の上、表現することを使命として生かされている、親と子の姿。
 
その命懸けの表現を、これからも観続けていきたいと思います。