「あなたは何も出来ないから、私が代わりにしてあげるからね。だから、私の言うことをきちんときいてね。そしたら、あなたも私も幸せになれるから。どうしてそんなネガティブな反応ばかりするの?いつもニコニコしていればいいのよ!それが、交換条件なんだから!」

これを面と向かって言われたとき、私は鳥肌がたち、虫酸が走った。

なんて恐ろしく歪んだ愛の表現なんだろう…。


でも、実はこれ…
セッションのワークで、私が母に向けて言った言葉だったのだ。
それを、セラピストさんが改めて私に向けて投げかけたのだ。
言われるまで、これほどに相手を押さえ付け、縛るものだとは気が付きもしなかった。




私の母は認知症で、虚弱体質、メンタルも弱い。
いつも「何もできなくなった。家族の厄介者になってしまう。」と言っている。
そして、昼間でも薄暗い部屋でストーブにかじりつき、じっとしている。
ひどい時には、不安に駆られパニックになる。

私は、そんな母を元気付けようと、なだめたり、ハッパをかけたり、時には叱責したりしたが、良くなる気配はなく、それどころか、徐々に精気を失っていく。

母が困らないように、身の回りの世話も手厚くなり、少しでも役目を与えようと手仕事をあてがったりした。

けれど、私の言うことなすことに反論ばかりする。

こんな、ネガティブで天邪鬼な母はいらない!もっと明るく元気で、素直に私の言うことをきく母がいい!

母親なら…子供のことを気遣うというのなら
「あんたたち(私と妹)のために、ショートステイにも頑張って行くし、私もお仲間たちと楽しんで来るよ!」
くらい言えないものかね。
と思っていた。





母が骨折で入院中に部屋をまるっきり模様替えして、たくさんのものを断舎離した。良かれと思ってのこと。

母が、ショートステイ中に、介護ベッドに交換した。
良かれと思ってのこと。

母は声を荒げた。
「前のほうが良かった!前のはどうしたんよ!勝手なことをして〜!」


天邪鬼な母のこと。
そのときは必ず反論すると思っていた。だから、これは想定内。
でも、認知症だからすぐに忘れるでしょ。
ほら、もう何も言わなくなってる。




先日、セッションのワークで、私が母の代弁者となった。
私を通して出て来た母の言葉はこうだった。

「私の人生なんだから、放っておいてよ!なんで勝手に決めるんだ!」

魂の叫びだ。



(えっ⁉だって、あんたはもう、いろんなこと出来ないんだよね。だったら、私達がしてあげなくちゃいけないでしょ!
ツベコベ言わずに与えられたもので満足しろよ!)
私は、今までずっとこう思っていたし、こういう態度をとってきた。

母は、自分の体力や気力の衰えを重々承知している。だから、自分の人生、自分で責任をとりたいと願っていても、それを表に出すことができずにいた。
そして、自分に言い聞かせた。
「歳をとって何も出来なくなってきた。家族の厄介者になってきた。(だから、自分のことを自分でできなくても、相手に支配されても仕方のないんだ…)」と。
毎日、何度も何度も…数分おきに。
そうでもしないと、私の言葉や態度、無言の圧に押し潰されそうになっていたのだろう。


母の精気を吸い取っていたのは、私だったのだ。


セラピストさんにアドバイスを頂いた。

母の領域に介入しないこと。
具体的には、危険を伴わない物事にはできるだけ手を出さない。
母からSOSが出たときに、ようやく手を差し伸べる。

私は、母の泣き言を聞きたくないために、先回りして身の回りの世話をしたり、役目を与えようとしていた。
母のためと思っていたが、実は自分のためだったのだ。


もう、不安で握りしめていたものから手を放そう。
母の力を信じよう。



今日の夕方、母はショートステイから帰ってきた。
私は、母の部屋で寝転がって過ごした。
いつもなら、さっさと入浴の準備をして母の入浴介助をしていたのだが、今日は母がお風呂に入りたいと言わなければ、入浴介助はしないことにした。

妹がやってきた。
実は、妹にも話をしていたので、妹も入浴について触れない。

すると、母が妹に言った。
「あんた、お風呂入る?」
妹は入らないと答えた。
「それなら、今日はお風呂やめよう。」

母がこんなにもあっさりと決断するのは珍しい。


母が日記帳とにらめっこしている。
ショートステイに何日行ったのか分からないと、何度も何度も私に確認してくる。
私は、いつもなら「日記なんて書かなくてもいい。どうせ書いたって忘れるんだから」と突っぱねていた。
何度も聞かれるのが鬱陶しかったのだ。

しかし、今日はその都度「うんうん」「そうそう」と相槌を打った。
セラピストさんにそうしてみるようにアドバイスしてもらっていたのだ。
何度も同じやり取りを繰り返すうちに、母の記憶が繋がり、こう言った。
「お泊り(ショートステイ)は家族のために行くんやろ?これぐらいならお泊りに行かんといかんな。運動も出来るし、楽しいよ。」

私の望んでいた母の言葉。
嬉しかった。



このあと、私の意識が変わった。

母はかなりの認知症だと思っていたが、そうではなかった。
記憶はすぐになくなるが、物事の判断が出来ないわけでもなく、思考の筋道も通っている。理性もある。他人への気遣いも出来る。行動も遅いが問題ない。

どうしてだろう。
母は認知症ではない。
私の世界観が変わったせいなのか?


今、母の寝室の隣のリビングのソファベッドでこの記事を書いている。

母は自分の意思で寝室に行き、電灯も調節し、自力でベッドに入り、就寝した。
ソファベッドで寝ている私に寒くないか?寒いなら布団を追加するようになど声掛けをしてくれる。


私の前には、もう認知症の…厄介者の母はいない。


ごめんね。母ちゃん。
あなたから力を奪っていて。

そして、ありがとうね。
大切な母ちゃん。
長生きしてください。