私はドッグダンスを習っている。

ドッグダンス?
なんぞやそれは…?

という人も多いと思う。
犬と人が音楽に合わせて一緒に踊るのだ。

この説明でも、イメージ出来ん…
という人もいるだろう。
めんどくさいから、説明は割愛。



私のパートナーの愛犬レイは、飼い主の私が言うのもなんだが、賢い。
まぁ、もともと賢いと言われる犬種だが、その中でも賢いと自負している。

レイは私の言葉を聞いて、それをよく理解し、的確に動いてくれる。
次第に、レイと一緒に観衆を魅了させるダンスがしたい!と思うようになってきた。

問題は、私だ。

私は、リズム感が悪い。

ドッグダンスを習い始めると、私のリズム感のなさと運動音痴が浮き彫りになってきた。

お手本を見ても、体のどの部位がどう動いているのか、皆目見当がつかない。
何拍目に動くのかも理解出来ない。
ましてや、振り付けなど自分で思いつくはずもない。

私をどげんかせないかん!

ということで、ドッグダンスの教室に、人間の振り付けを教えに来てくださっていたダンスの先生に依頼して、私が(人間の)ダンスを習い始めた。

ダンスの先生は、ニコニコしながら…結構なスパルタだった。

私が、経験したことのないようなリズムをぶっ込んでくる。
一拍の間に足を3回動かす?えっ一拍で動くのは足一回じゃないの?
えっ?腰は動かさずに上半身だけ動かす?
えっ、片足あげた状態で更に跳ぶ?

それも、めっちゃ速い…

最初は、自分の不器用さと奇妙な動きに笑いが止まらなくなったが、そんな私にお構いなく、先生はニコニコしながらどんどん続けていく。

あれから、約5ヶ月。
少しずつだが、手足が動きやすくなり、リズムも合うようになってきた。
何事も年齢を言い訳にせず、チャレンジしてみる価値はある。


只今、イベントで披露するソロのドッグダンスの振り付けをしてもらって、公園などでレイと踊ってみて、その動画をラインで先生に見てもらっている。

レイが加わると、レイの振り付けも思い出さなくてはならないので、イメージ通りにはいかない。
落ち込みながらも、そのみっともなさを受け入れ、覚悟を決めてラインを送る。


先生からの返信。
「素敵ですね。かわいい2人ですね。」


えっ⁉
かわいい2人ですね…?

そのイメージは私の中にはゼロの視点だった。
かわいいって…いいもんだな。




今朝、ふと母のことを思い出した。
あっ、母は健在だ。
今朝は、ショートステイに行ってくれている。

そこのスタッフさんが、よく言ってくださる。
「〇〇さん(母のこと)かわいいですね!」

私は、そのときにこんな反応をした。
「えっ⁉そうですか…?」

またまた、ご冗談を〜。
母のことを、かわいいだなんて思ったことない。
きっと、猫被ってるんだ。
人目気にする人だからな。

そんな気持ちで、スタッフさんの言葉に対して薄いリアクションしかできなかった。

今、思うと…
「えっ⁉そうですか!それはありがとうございます!」と、満面の笑みでリアクション出来たら、私もスタッフさんもどんなにか幸せだったろうに。そして、母も。



母も私を褒めることはない。
幼い頃から、嬉しいことを報告しても、リアクションは薄い。

そっか…母譲りか。
このリアクション。
こんなところにも、植え付けられた意識が働いているんだな。

おそらく、人前で感情をオープンにしてははしたないとかいう観念があるのだろう。

これは、残念だな。
感情がオープンな方が人は分かりやすいし、自分も楽だ。
押し込んでいないから、自然体でいられる。
自然体では怒りはどうでも良くなる。
怒りを恐れなくて良くなる。
恐れないものは、不意をついて出てくることはない。
安心して、仲間と繋がれる。
嬉しいことばかりじゃないか。


どんどんさらけ出そうぜ~。