2025年、大晦日を迎えています。
これまでのことを振り返ろうと
夜中から今朝まで、自分のブログを遡っていました。
それは2011年、私が舞踊グループの一員として
毎日を駆け抜けていた頃から始まっています。
なにしろ投稿数が多く
何食べた〜このカフェいった〜など、
どうでもよさそうな記事は見つけたら全削除しつつ…
過去の若い私は本当に必死に一生懸命日々を過ごしていたのだなと、褒めてあげたくなりました。
こう、10年20年と、
私の心の大成長は凄まじいなと感じました。
つくづく、この世に生まれた私の使命は
幸せになること。
精神を、魂を、進化させることなのだと改めて気付かされました。
メンタル面でとても問題のあった私は、
あらゆる出来事、たくさんの課題を乗り越え
ぐんぐん強くなっています。
私が患っていた鬱は、今年で、
おそらく、寛解したのではないでしょうか。
もう、目の前に靄がかかることはなく
薬も必要なく、通院もカウンセリングも必要ありません。
自分で疑問を持ち、自分で心理構造を調べ、
自分で癒し、自分で解決しています。
そしてついに私は今回、
重大な事実に気付かされることになるのです。
なぜ、なぜ今まで背けていたのか。
私にとって大発見だったこと。
それは、
母親との共依存でした。
私たちの家庭事情はとても複雑で、私と母の関係性もなんというかとても不思議な距離感でした。
私は、母親らしいことをしたことのない母親を憎み、それでも母親ぶる母親を憎んでいました。
一人娘の私とちゃんと向き合うことなく
二度の再婚をし、犬を飼いだし、
そちらにばかり愛を注ぎました。
母親の母親、つまり祖母は
絵に描いたような毒親でした。
母が私を産んだのは、
〝幸せな家庭をつくりなおしたかったから〟
という理由です。
しかし母はそのときの父役とは離婚しシングルマザーに。
そして産まれてきた私はひどい障害を抱え、のちに苦しむことになります。
金銭面を理由に、祖母と義祖父との四人暮らしを選択した母親。
肩身の狭かった母親は、
〝私はあなたのために我慢をしてきた〟といつも言っています。
不自由で辛かった思春期を過ぎ、手術から数年後
好きなことばかりをしはじめた私。
思い通りにならない私に「わがままでダメな娘」というレッテルを貼りました。
しかし祖父母が亡くなって、唯一の血縁が私たちだけになったとき
関係性が変わります。
これまで祖父母が私に甘やかしてきた代わりに、とても優しく気遣いをする母親になりました。
そしてだんだんと私たちは、一緒に旅行にいったり出かけたり
はたからみたら《仲良し親子》に見える構造になっていきました。
私は自分自身なかなか精神的に自立できず、
弱く、脆く、
なにかあれば泣きながら母に電話をかけていました。
鬱で激痩せしてしまったり
通院するようになったり
社会的にも安定しない生き方。
私の存在はいつも母親にとっては
《心配を運んでくる存在》として出来上がってしまいました。
そして、今年の私の誕生日。
ついに事件は勃発します。
2人旅へ行った夜、
ほんのささいなことで母親に私がイライラし冷たく返したのがトリガーに。
なぜあなたは親に優しくできないのかとブチ切れしだした母。
そして、「私はずっと我慢してきた」のだと母は
ダムが決壊したようにヒステリックを起こしました。
そうだ、私は小さいときから、
この母親のヒステリックが大嫌いだったんだ。
ツラい思い出がフラッシュバックしました。
私はこれまで
優しく接してきたつもりです。
(私たちが取材を受けた)ドキュメンタリー番組が放映されてから、
母親を許そうと思っていました。
電話やLINEを毎日のようにしていました。
それを母親は
私に何かあったのかといちいち心配でストレスだと言いました。
それを
私はずっと我慢してきた、と言い放つ母親。
正直それは私の問題ではなく、
母親自身の問題です。
自分をわざと心配させて
「あなたは私を脅している」と言われました。
ヒートアップしてきた喧嘩で、
ついに手が出た母親。
そこで私はハッと再び思いだす。
私は昔、小さい時、
母親に暴力を振るわれていた。
いつもぶたれ、閉じ込められていた。
ヒステリックなキーキー声。
大嫌い。
被害妄想でこどもっぽい思考の親。
なぜあなたはいつも私を心配させるの、
早く結婚でもして私を安心させてほしいと言う。
母親は私にずっと負い目があると思っていました。
私なりに、母親は私に罪滅ぼしをしたいのだと、
私に構うことで、
それをさせてあげていたつもりでした。
母親は、自分を放置していた自分の母親と
たくさん旅行に行きたかったというさみしさを抱えていました。
自分が母親にしてもらいたかったことをいま実行することで、自分を満たそうとしている。
娘に注いでいたつもりの愛情だと思っていたことは、
私にとっては母親の自己犠牲の押し付けでした。
私が今までうまくいかなかった人間関係や、思考のクセ、不安定な感情、
すべてに納得がいったのです。
そして言い合いの末、
自ら「それなら縁を切るか?!」と提案してきた母親。
自分の足で立って生きるのです。
長い間、ずっと自分を縛り付けていたもの。
そこに気がついたことが、
今年の最大の変化と成長でした。
いまやっと、
自分の人生をちゃんと生きている気がするのです。
芸事にも向き合い、
さまざまな苦しみを乗り越えたひとりの人間として、
これからも凛とした表現者でありたいと誓います。
20代前半で立たせてもらった明治座。
あのときは、ただのバックダンサーの一員。
背景でしかなかった。
今年は、あの大舞台でひとりで踊らせていただきました。
夢は少しずつ、叶えられています。
私の願望はこの先もつづき、
実現したいことがある限り
どんなときでも立ち上がり、
まっすぐに進んでいきます。
今年は、これまで避けていたことに挑んだり
初心に返って色んな場所に出向きました。
小さなことだけど、
私にとっては大きな一歩で
来年以降への種まきになったと思います。
ひとりになった私を、
弱かった私を、
これからも応援していただけたら嬉しいです。
2025年、大晦日。
今日もありがとうございます^_^
西山美海は、
多くの人たちの光になります。





