ちゅらうみカフェ〜西山美海は多くの人たちの光になります〜

ちゅらうみカフェ〜西山美海は多くの人たちの光になります〜

女優:西山美海(みなみ)のブログ!
私の生き様と考え方、活動についてを皆さんにお届けいたします。女優としての日々の過ごし方や心の持ち方を綴ります♫多くの人たちに光を照らしたい…。

2025年、大晦日を迎えています。


これまでのことを振り返ろうと

夜中から今朝まで、自分のブログを遡っていました。


それは2011年、私が舞踊グループの一員として

毎日を駆け抜けていた頃から始まっています。


なにしろ投稿数が多く

何食べた〜このカフェいった〜など、

どうでもよさそうな記事は見つけたら全削除しつつ…


過去の若い私は本当に必死に一生懸命日々を過ごしていたのだなと、褒めてあげたくなりました。


こう、10年20年と、

私の心の大成長は凄まじいなと感じました。


つくづく、この世に生まれた私の使命は


幸せになること。


精神を、魂を、進化させることなのだと改めて気付かされました。


メンタル面でとても問題のあった私は、

あらゆる出来事、たくさんの課題を乗り越え


ぐんぐん強くなっています。


私が患っていた鬱は、今年で、

おそらく、寛解したのではないでしょうか。


もう、目の前に靄がかかることはなく

薬も必要なく、通院もカウンセリングも必要ありません。


自分で疑問を持ち、自分で心理構造を調べ、

自分で癒し、自分で解決しています。


そしてついに私は今回、


重大な事実に気付かされることになるのです。



なぜ、なぜ今まで背けていたのか。



私にとって大発見だったこと。



それは、


母親との共依存でした。



私たちの家庭事情はとても複雑で、私と母の関係性もなんというかとても不思議な距離感でした。


私は、母親らしいことをしたことのない母親を憎み、それでも母親ぶる母親を憎んでいました。


一人娘の私とちゃんと向き合うことなく

二度の再婚をし、犬を飼いだし、

そちらにばかり愛を注ぎました。



母親の母親、つまり祖母は

絵に描いたような毒親でした。



母が私を産んだのは、


〝幸せな家庭をつくりなおしたかったから〟


という理由です。



しかし母はそのときの父役とは離婚しシングルマザーに。


そして産まれてきた私はひどい障害を抱え、のちに苦しむことになります。


金銭面を理由に、祖母と義祖父との四人暮らしを選択した母親。


肩身の狭かった母親は、

〝私はあなたのために我慢をしてきた〟といつも言っています。



不自由で辛かった思春期を過ぎ、手術から数年後

好きなことばかりをしはじめた私。


思い通りにならない私に「わがままでダメな娘」というレッテルを貼りました。



しかし祖父母が亡くなって、唯一の血縁が私たちだけになったとき


関係性が変わります。



これまで祖父母が私に甘やかしてきた代わりに、とても優しく気遣いをする母親になりました。


そしてだんだんと私たちは、一緒に旅行にいったり出かけたり


はたからみたら《仲良し親子》に見える構造になっていきました。



私は自分自身なかなか精神的に自立できず、

弱く、脆く、

なにかあれば泣きながら母に電話をかけていました。


鬱で激痩せしてしまったり

通院するようになったり

社会的にも安定しない生き方。



私の存在はいつも母親にとっては


《心配を運んでくる存在》として出来上がってしまいました。



そして、今年の私の誕生日。



ついに事件は勃発します。



2人旅へ行った夜、

ほんのささいなことで母親に私がイライラし冷たく返したのがトリガーに。


なぜあなたは親に優しくできないのかとブチ切れしだした母。


そして、「私はずっと我慢してきた」のだと母は

ダムが決壊したようにヒステリックを起こしました。


そうだ、私は小さいときから、

この母親のヒステリックが大嫌いだったんだ。


ツラい思い出がフラッシュバックしました。


私はこれまで

優しく接してきたつもりです。



(私たちが取材を受けた)ドキュメンタリー番組が放映されてから、

母親を許そうと思っていました。


電話やLINEを毎日のようにしていました。


それを母親は

私に何かあったのかといちいち心配でストレスだと言いました。


それを

私はずっと我慢してきた、と言い放つ母親。


正直それは私の問題ではなく、

母親自身の問題です。


自分をわざと心配させて

「あなたは私を脅している」と言われました。



ヒートアップしてきた喧嘩で、

ついに手が出た母親。


そこで私はハッと再び思いだす。



私は昔、小さい時、

母親に暴力を振るわれていた。


いつもぶたれ、閉じ込められていた。



ヒステリックなキーキー声。



大嫌い。



被害妄想でこどもっぽい思考の親。



なぜあなたはいつも私を心配させるの、

早く結婚でもして私を安心させてほしいと言う。



母親は私にずっと負い目があると思っていました。


私なりに、母親は私に罪滅ぼしをしたいのだと、


私に構うことで、

それをさせてあげていたつもりでした。



母親は、自分を放置していた自分の母親と

たくさん旅行に行きたかったというさみしさを抱えていました。


自分が母親にしてもらいたかったことをいま実行することで、自分を満たそうとしている。


娘に注いでいたつもりの愛情だと思っていたことは、


私にとっては母親の自己犠牲の押し付けでした。


私が今までうまくいかなかった人間関係や、思考のクセ、不安定な感情、


すべてに納得がいったのです。


そして言い合いの末、

自ら「それなら縁を切るか?!」と提案してきた母親。


よくもそれを言えたものだとも思うのですが、
私はもう母親の幼いマインドにはもう限界。

人間として、魂がぜんぜん成長していない。


そして私はついに、
母親を捨てる決断をしたのでした。

私は最後に、

自分の心の問題、
自分の母親と解決できなかった心の溝を

娘の私で埋めようとしないでくれと伝えました。


一緒にカウンセリングにいったときもありました。


担当医にブチ切れして、
物事に向き合おうとしなかった母親。

私が幸せそうにしていることに
嫉妬を露わにする母親。

いつも、なんでも、否定から入る母親。

しまいには私の誕生日を台無しにしました。


もう、分かり合えることはできません。


心配とは、相手を信頼していないこととイコールです。

私は私で母親を頼りにしすぎ、
寄りかかりすぎていた弱い人間。

私はそんな依存から脱却して、
卒業しなければいけません。

私はこれから、血縁が誰もいない状態で、
たったひとりで生きていくのです。

自分の足で立って生きるのです。



長い間、ずっと自分を縛り付けていたもの。



そこに気がついたことが、



今年の最大の変化と成長でした。



いまやっと、

自分の人生をちゃんと生きている気がするのです。




芸事にも向き合い、


さまざまな苦しみを乗り越えたひとりの人間として、


これからも凛とした表現者でありたいと誓います。




20代前半で立たせてもらった明治座。



あのときは、ただのバックダンサーの一員。



背景でしかなかった。



今年は、あの大舞台でひとりで踊らせていただきました。



夢は少しずつ、叶えられています。



私の願望はこの先もつづき、

実現したいことがある限り



どんなときでも立ち上がり、

まっすぐに進んでいきます。



今年は、これまで避けていたことに挑んだり

初心に返って色んな場所に出向きました。



小さなことだけど、

私にとっては大きな一歩で



来年以降への種まきになったと思います。



ひとりになった私を、

弱かった私を、



これからも応援していただけたら嬉しいです。



2025年、大晦日。





























今日もありがとうございます^_^

























西山美海は、

多くの人たちの光になります。

なんとなく筆を取りたくなった次第です。


2025年になって初めてのブログですね。


去年末、重めのインフレンザになり

はたまた苦しみながらの年明けでした。


さらに年明け早々、

私の銀座のお店に泥棒が入る事件などがあり


一時期は面倒な事態になりましたが


なんというか大きな「厄落とし」になった気がします。


さらに、なんとなく2025年って特別なような気もしているのですが


そんな特別な年に、なんの目標も持たず

自分が居心地のいいところにいられればいいかな、と


年々、ゆったり凪のような精神になりつつある私。



これはとても大成長です‼︎



いまこうして語りたくなったことは、

出会うべきタイミングで出会えたんだろうなという出来事があったからです。



その2人は私のお店にフラッと導かれるように入ってきました。



初見で感じた通り、芸能系の2人でした。



2人と私の感覚はすごくピタッときて、

本当に初めて会った気がしないし、

だいぶ前から知り合いだったような



出会っていなかった期間の空白を埋めたかのような有意義な時間を過ごしました。



私と歳が近い女の子のほうは、

バリバリにマルチに活動をしつづけている子で



プロデュースからものづくりをしてきた苦労、歌や踊りや脚本などなどなど



私がしてきた同じような動きをしていました。



私は結局、疲れてしまって、

病んでしまって、理想を求めることをやめましたが



その子はまさに、


〝みんなが豊かになるため、良いものづくりをするため、お金を得て、お金を得るために具体的な事業を起こし奔走する〟



という本来考えていた私の理想そのものをつくろうとしているのでした。



なんだか私は、自分のカタワレを見つけたような気持ちになったのです。



私はお店をはじめて本当に良かったことだらけなのですが、同時に《経営》は向いてないという結論にも至りました。



まわりのひとから言わせても、自分が思うにも、



私の頭って確実に「経営脳」じゃ、ない!



計画できない、計算できない、

具体的に何をどうしたらの攻略もできない、

といった具合。



実はこれまでの舞台やイベントプロデュースでも同じ脳でやってきたので、



計算はざっくり、あとは運と人望、

ぐらいにしか思えない性質なもので



これはお店の運営と丸々同じなのでした。



ただ、自分の「感覚」を頼りに

お客さんを楽しませてきた結果、



3年目も徐々にお客さんが増えてきて、

それに伴いお金がついてきているだけなのです。



それは、自分で経験してきたからこそわかったことでした。



その彼女は、一度会っただけで

私の性質をすぐに見抜いて



彼女の分析により私は、



完璧主義がゆえに

できないことを無理して頑張りすぎてたんだな



と改めて気付かされました。



パワーを出しすぎるともちろん疲れます。



私はそのパワーを無理矢理出して頑張って来られたけど、



彼女のような人はきっと無理なく自然に動けてしまう人なのだろうと思いました。



私の理想が目の前にいるなら、

私はその彼女がつくる何かに乗っかるだけで



お互いの良いバランスで

良いものを最大限に発揮できるんじゃないかと感じたわけです。



それが、一体なんなのかは、



まだ、わかりませんが。



その答えが近い将来、出そうな気がしています。



私は、動いて、疲れて、

お店をはじめて、向いていて、楽しくて

待っていたら、運命のひとがやってきた。



という、



時は来た


そんなサインなんじゃないかって



久しぶりにワクワクしたので



この未来への伏線になるであろう記念に、

こうしてここに

したためたのであります。



頑張りすぎてた私が、

頑張らなくなったとき。



準備が整ったとき



なにかが最高の贈りものを届けてくれるんだなってつくづく身に染みました。



























今日もありがとうございます^_^
























西山美海は、

多くの人たちの光になります。

まぁ、なんとお久しぶりでしょう。


私が記事を書こうとしたキッカケは、苦しい高熱。


1〜2年に1回ほど、ダダダダと不調が押し寄せてくる時期ってありますよね。


それが今真っ最中な私です。


前回の記事から9ヶ月も経っていたとは。


ある意味とても充実して日々が穏やかなことが多かったのかもしれません。


自分のお店もお客さんに知ってもらえるようになったり、稼ごうと頑張るスイッチが入ったり。


今年の大イベントは9月に集結していました。


ひとつめは、女体書道の作品展のため


皆さまと共にパリへ行ってきたのでした‼︎


ヨーロッパへ行ったのは初めて。


行きも帰りも1人で飛行機に乗りはじめての楽しい体験ばかりでした。


ふたつめ、


パリから帰国して1週間後には京都へ。


私が大好きな、私と縁のある京都。


憧れの祇園の歌舞練場にて


舞踊の舞台出演を果たしてきたのでした‼︎


パリ&京都、という夢のような出来事が9月に同時に叶えられて感無量の体験。


今年はこのためにあったというべきでしょう。


それからというもの…


9月が充実した分、10月がとてもとても長く感じました…。


しかも!お店もヒマでヒマで…!


少し、働き甲斐を失いつつあった私。。


自分で自分を保つのに必死だったところがありました。


私は、もっと自立心を鍛えたいという思いで


抗うつ剤を飲むのをそろそろ卒業できるかと思い


徐々に減らしているところ。


薬を飲んでいればどうってことない状態まできたので、ここを切り抜けていきたい。


ただ、あまりにも自分が「ヒマ」な時間が長いとどうも鬱々としてしまうのは誰もがそう。


私の望みは「ヒマ」な状態をつくることでしたから


もちろん叶ってはいるのですが、、


やはり生き甲斐というものは自分で見つける旅をしていかなければいけない。


そんな暇な時間がもたらしてしまったのは空虚感でした。


先週、スーパーで食材をみていたら勝手に涙がポロポロ流れてきたのです。


それは私にとって、そろそろ限界なサイン。


理由は、特にないのです。


特にないのが問題なのです。


何をすればよいのか、どう気分を変えたらいいのか、悶々としていたとき


プチぎっくり腰になったのでした…!


とても久しぶりで。。


そう、プチはプチでも


ギックリの激痛は言葉にできない。。


体が、忘れかけていた痛みを思い出させてくれました。


そんな2日後に、私の最愛のうさぎのもくちゃんが前脚を骨折。


朝から近所から遠めの病院までを駆け回り、てんてこまい。


奮闘しているあいだに腰の痛みはどっかに飛んでいきましたが、


いつもは寝ている朝から一日中タイヘンだった疲れで完全に風邪をひきました。

追い打ちで偏頭痛も続き。


そこからの悪化で、昨日は38度の熱。


とても辛かったです…。


(いまは35度まで)


まだ咳ゴホゴホの酷さが治らず、咳により使う筋肉の激痛とノドの苦しさと闘っています。


私は、この不調つづきは


自分自身が求めて自分で生み出した、

いま起こるべき痛みなのだと納得しています。


なぜなら、生きる執着がなくなりそうな私に


生きていることを思い出させてくれたから。


痛みと苦しみによって、生きている実感がわくのが人間なんだと改めて気づかせてくれた出来事。


私はいまの不調の状態のなか

ありがたい気持ちでいっぱいです。


細胞がウイルスと戦いまくってくれてるのも感謝だし、この体がすごい奇跡だと思うし


最近〝保身〟のあまりにお金を使わないよう努めていた私に、無理矢理お金を出させるコトに。


(保険の効かないこの子は動物病院ではナン万円もお金が飛びます)


保身をしすぎると明らかに行動範囲も減り、意欲も下がってしまうのだと思う。


全ての出来事は全てに意味があるのだなと心から思わされます。


堂々と仕事も休めて、いまいちど心身リセットできているような気がします。


生きていると、必ず何かの痛みと向き合うことになるけど


痛みも大切な気づき。


このブログを次に書くとしたらタイトルは

《次の奇跡は何だろう》にしようと考えてました。


私はこれまで、あらゆる奇跡で夢を叶えてきてしまっているから。


だから、またさらに起こる奇跡にワクワクしているのは確かなのですが


ただココに平和に暮らせていること自体が奇跡なのだと、そう思う今日です。



























今日もありがとうございます^ ^









































西山美海は、

多くの人たちの光になります。




2024年になり2ヶ月。


特に抱負を決めることなく年を越しました。


ありがたいことに去年の12月は自分のお店が賑わい、充実した毎日。


そしてそこまでゆっくりすることもなく、年明けすぐに日本橋劇場で公演がありました。


当たり前でないのに、当たり前のように舞台に出演させていただけている環境に。


私は、私の持つ感性と合う友達は少ないけれど


古典日舞の師匠、ボイトレの先生、新舞踊の家元…素晴らしい恩師たちに恵まれています。


こんなに私のメンタルのバイオリズムにこれだけ理解があって、常に味方でいてくださり、


遠からず近からずの距離でずーっと見守ってくださっている存在はとても心強いです。


自分が弱気で、生き甲斐を見失ったりすると


そんな大切な人たちの存在を忘れてしまうときもあります。


自分のことしか考えられなくなるとき。


それはつまり、昔から時々襲われる希死願望です。


そんなときはなるべく恩師の顔を思い浮かべるようにしています。


可愛がっていた私がこの世からいなくなったら、

きっと残念がってくれると思うから。



小さいときから自分は「不幸な人間だ」と思い続けていました。


そして背骨の手術のときに死を覚悟した私。


これまでの闘病というエネルギーのやり場を失い、躁鬱を繰り返した高校時代。


それから〝役者を志す〟ことで救われた心。


役者で成功することに執着して、


努力しても辿り着けない道に、あがき、もがき、試行錯誤してきました。


うちひしがれて、この世から消えたいと思う時期を何度も繰り返し


そうしていま現在、


思い描いていた理想の状態にいるのです。



勿論、まだ叶っていない夢もあるので


そこへどう辿り着くかの方法はわかりませんが、


少し、勇気を出して、


〝もっと緩やかに〟活動していこうと思っています。


油断するとすぐに動いてしまいますから、それを止めようと思うのです。


あんなに情熱を込めて演劇活動をしていたときと比べて、今は自分から行動するのも控えています。


私ならではのプロデュース活動も今年はお休みしようと思います。


必要としてくださっている作品にだけ出演するつもりでいます。



私は何か物事が動いていないと、大きな不安に襲われることがあり


それで精神を崩し、生きる希望を失ってしまうのです。



だけどそろそろその状態を治したい。



それには、


活動をしていなくても〝幸せである〟自分に慣れていかなくてはいけないと思うのです。



本来、役者として売れようが売れてなかろうが


人間として〝幸せ〟でなければいけない。


私は常に幸せな状態でいたいです。



映画学校時代の同級生の9割は


すでに役者を辞めています。


結婚して家庭を持ったり、就職して立派な大人になったり。


その人たちを《結局やめてしまったのね》なんて言い放つ人もいれば、


逆に、私たちのような人を


《まだそんなことやっているの》なんて嘲笑ったりする人もいる。



だけど大事なのは、



当の本人が〝幸せ〟であること。



確実に、それで、いいのです。



私は早い段階で、芸能界の裏側を見せてもらっていたので


有名人が幸せかというと…


第三者の私からみたら、


必ずしもそうではないのではないか…という場面に何度も遭遇しました。



自分を不幸な道に誘導しようとしていたのは、

まさしく自分自身だった気がします。



今では、


本来の理想ではなくても


例えば生涯愛する人と出会って、芸能も仕事もすべて辞めても


幸せならそれでいいと感じています。


(私の場合、肝心の相手がまだ現れていないのですが…。)



それも運命、それもご縁、それも選択、です。



何も間違っていない。



まだハタチだったあの頃は、


【役者になることに命を懸ける】と考えていましたが


気持ちが変わることも自然。


それが全てではないと、いまは思います。



『何をしているときがいちばん幸せ?』と聞かれたら


「舞台に立っているとき」だったのが、


「ベッドでだらだら眠っているとき」に変わってもいいのです。



自分自身にもっと寛容になって、

自分を許して、

自分を愛していこうと思います。




幸せについて、

考えることをやめないで。
























今日もありがとうございます^ ^





















西山美海は、

多くの人たちの光になります。





…あれからとても不思議な気持ちです。


先週、フジテレビ番組「ザ・ノンフィクション」に、私が取り上げられました。


女体書道の作品モデルになったことがきっかけでした。


とても美しい作品に惚れ惚れしてフォローしていた女体書道のインスタ。


直々にお声がけいただいたときは、


モデルになることに迷いがあったのですが…


私にはコンプレックスを脱したい思いがあり、このモデルとして参加することでその殻をやぶることになったのです。


そんな背景があった私。


書道家の小林さんからこの番組のお話しをいただき、2回目の作品撮りをすることに。


今年2月から密着取材がはじまりました。


ディレクターは手持ちカメラひとつで、私のイベントや舞台現場、私の家、私のお店、両親の家、


様々な場面で取材に来てくださいました。


取材を受けるうち、ディレクターのなかで、私と私の母親との関係性に着目したようでした。


私が幼少期から思春期の大切な時期を、コルセットの矯正でつぶれてしまったこと。


こんな私を産んだ母親を恨んでいたこと。


いじめられたこと。


手術が辛かったこと。


そんな私のすべてを曝け出したドキュメンタリーに仕上がっていました。


放映されてから、さまざまな反応がありました。


なんともまだ自分では感想はまとまりづらいですが…


あれから私は、気持ちが少し整ってきた気がするのです。


なぜなら私にはもう、隠すものがないからです。


ずっとコソコソと背中の傷を隠していた私。


障害があることの弱みを出せなかった私。


家庭環境のコンプレックスを抱え続けた私。


それらによってメンタルが弱弱な私。


それを吐き出してしまえたから。


どのように仕上がっているのか、どこをどう切り取られているのかわからなかったので


放映にはとても緊張し、そして憂鬱でした。


だけどこれは、私の夢の実現のひとつだったのです。


このブログにも書いているように、


私は〝不特定多数の人にとっての光になること〟が人生の目的であるから。



自分が背負ってきた心の闇が深いことさえ、それをバネに光に変えられること。


ネガティブだからこそ、

自信がないからこそ、


自信をつけるために、努力して、動く。


前を向いて生きようともがいている。



そんな私の生き様を世に見せることが、

このようなカタチで叶ってしまったのです。



だから私は、

〝願望は必ず実現することを身をもって証明する〟ことを真実にしてしまったのです。


これは本当に思ってもみなかったカタチでした。


ザノンフィクションは、ずいぶんと前から知っている有名な番組です。


少し影のあるドキュメンタリーのイメージでしたし、この番組のコアなファンの人たちには


SNSでさんざん悪口を言われた私ですが、、


それでも、お会いしたことのないどこか遠くの方から、同じ病気を抱える人から


心を動かされたとメッセージがあったりしました。


とても嬉しいことです。


私はそれだけで、生きてきた価値を感じられます。


テレビを通して、誰かが何かを感じてくれる。


私が唯一、願っていたことであり

自分にとっての救いでもあったのです。


まだまだ今後の人生には課題がたくさん。


過去の経験を糧に、明るいほうへ更新していく。


常に自分との闘いです。



想いは、実現する。



ひたすらそれを信じ続けて、

逃げずに立ち向かっていきます。



この度は本当に素晴らしい機会をいただきました。



感謝ばかり。


























今日もありがとうございます^ ^
















西山美海は、

多くの人たちの光になります。




〝玉井錦月〟として国立劇場で古典舞踊を披露させていただきました。


かなりの重みを持つものだったので、この数ヶ月間は何をしていてもどう過ごしていても


踊りのことばかり頭から離れず


相当なプレッシャーを背負っていました。


去年の11月からお稽古していたものですし、ましてや国立劇場での名披露目。


とにかくストレスでした。


そのお披露会が終わり、そのストレスから解き放たれとてもとても幸せな日々です。


しかしながら不思議なもので、


ストレスがなくなり穏やかな生活をしてまだ10日ほどですが


流れる時間がかなり長い。


〝しばらく何もない生活をおくりたい〟と思っていたことに少し飽きてきました。


たまたま今日、とあるコンサートに伺ったのですが


それにかなり触発されて


私がもしまたプロデュースをするならこんなことをして…こんな風に登場して…これを歌い、あれを踊り…


なんていう想像が止まらなくなってしまいました。



ストレスなく過ごしたいと思いながらも、心の底では創作意欲が沸々としているのです。



無理に動いたりすることは逆効果である場合もあるし、動くべきときにはその時期が必ずサインでやってくると思っています。


こんなような熱い気持ちがまだ私にあったと思うと少し安心しました。


私は自分がてっきりもう何かを悟ったように感じていたからです。



表現者として、

西山美海として、



まだやるべきことがあるなと自覚ができました。



自分が楽しくて企画することが、

不特定多数の方にとって楽しいことでもあり

なおかつ望まれているのであれば


こんな幸せなことはありません。


自己完結ではなく、

誰かのパワーになりエネルギーになるならば


自分の持っている力を出し惜しみなく使いたいです。



その時期が来たら、また、動きます。



名披露目を見守ってくださった方々、

影ながら応援してくださっている方々、



いつも、いつまでも

本当にありがとうございます。



誰かのチカラになれますように。























今日もありがとうございます^_^





















西山美海は、


多くの人たちの光になります。


ブログ投稿はご無沙汰でございます。


私は文章を書くのがとても好きなので、いくらでも記事は書けるのですが


あらゆるSNS投稿それぞれ、私のなかで使い分けをしています。


TikTokは半分は趣味みたいなもの。

そして皆さんにクスッとしてもらえるようなもの。

ショートで演技を見てもらえるプラットホームに。


Twitterはまさにそのときの気持ちの呟き、

告知や宣伝、短い文で伝えたい想いがあるとき。


YouTubeはまさに自分の活動の宣伝。

そして誰かに役立つようなコラボ動画の配信。


Instagramは私の被写体や「映え」写真で目の保養をしてもらうもの。


Facebookは年齢層を問わずにあらゆるSNSと紐付けている、安否確認のようなもの。


そしてアメブロはいちばん「真面目に語る」という私自身の生き方や考え方、多くの人たちに響くものを伝えたいときに活用しております。


SNSという媒体のおかげで、


誰かの目に止まる、

そして「見つけてもらう」ことが増えました。




日々、発信していくことはとても楽しいです。




最近のわたくしといえば、


視野が広がる機会・様々な方と出会う場面が次々と訪れ、とてもとても順調です。



…恋愛以外は。笑



銀座にお店を出したことも、まさに偶然の賜物。

まさかこんなにお店が自分の居心地のいい「居場所」であり「必要とされる場所」になるとは思いもせず


ほんとに多くの人たちに支えられています。



そして私自身が楽しく働けて、可能性を広げさせてくれる空間になっています。



〝みなみちゃんのお店が落ち着く場所〟

〝みなみちゃんと話しがしたい〟

〝お店に行くと元気が出る〟



誰かの心地いい居場所になり、楽しい気持ちになってたくさん笑える場面になっているのは



この上ない幸せです。



そして芸能の面でも、

私を押し上げてくれる師匠たちに恵まれ



踊りや、声の仕事や、パフォーマンス、司会やMCなどなど



マルチにお仕事をさせていただいております。



最近の期間は、とある市議会議員選挙戦でウグイス嬢の仕事をしながら

お店を営業したりしていました。



昨晩はウグイスの仕事で疲れすぎて、

ゆるゆるとお店を営業していたのですが



酔っ払いおじさんの戯言とはわかりつつ、少しモヤッとする言葉がありました。



それは、

『役者で食えないからお店やってる』というキーワードでした。



その言葉にちょっとだけ、



……ん?



と思ってしまいました。



そう思われているのも、個人の自由ですが



私としては、そうではないのです。



「気まぐれ女優バー美海」は、



私にとって、

自分の活動のなかの1つの「ツール」だと思っているのです。



フリーランスの私がやるべきことは、

〝どんな人たちに、知ってもらえるか〟

〝私という存在をどう見つけてもらえるか〟

なのです。


お店の認知度が上がるほど、

「西山美海」という存在を知ってくれる人が増えます。


そこから更に芸能のお仕事に繋げていくこと。



それが唯一の目的なのです。



だからこそ私は、

小っ恥ずかしいけど


店名に「女優」を入れ

自分の名前「美海」を入れ

あくまでも本業がメインだということの表れとして「気まぐれ」と付けたのです。



これまで出会ったことのない人たち。

そして、私を知っているけど私に会ってみたいと思ってもらえる人たち。



そこで出来るご縁は何よりの財産。



勿論、私はお金が大好きなので、笑



お店で稼いで、とにかく自己投資。

芸事に勤しむための資金活動として



稼いだお金を使って、自分に返ってくるような働きをしたい。



つまらないお店なら、お客さんは来ない。



だから私は、楽しくおしゃべりして

楽しく飲むの。



気楽に、気軽に、やってるし、

波長が合う人が来てくださることで

私は色んなことを学べるのです。



お店にも気合を入れてたくさんの工夫をしたい。



だからこそ、自分なりに考えてお店の知名度を上げる働きをしたり



「西山美海の活動」と「気まぐれ女優バー美海」の情報とを紐付けたホームページもつくってもらったのです。



https://nishiyama-minami.com/




自分がこれからどうなっていくか、

予想がつきません。



ただとにかく、



人生はいい方向に向かっている


ということだけは

ハッキリ確信しています。



いろんな苦労がありました。

いろんな苦難、悲しいこと、

打ちひしがれたこと、

騙されたこと、

自分が愚かだった出来事、



たくさんたくさんありました。



もう私はこれまでの15年ほど、



多くの種まきをしてきました。



いまも新しい種を巻いているところです。



だからもう充分。



あとは、私が楽しく、

イキイキとしていれば



きっと誰かが見つけてくれて

誰かが私を押し上げてくれる。

そして私はそんな人たちに貢献して

いろんな人たちに恩返しをする。



私はそう思いながら、

未来の不安なんて持たずに



私なりの生き方でいこう、と



思えています。



描いている理想が、



叶ったら運命。



叶わなくても、運命。



いくら技術を磨いても、

いくら名前が知られても、

知られなくても、



どうせ死んでしまうのが人間。



私は、



この命を燃やし尽くすために、

人間界に生まれてきたのです。



あぁ、素晴らしい人生だったな



と、死んでいきたいです。



















今日もありがとうございます^ ^

















西山美海は、

多くの人たちの光になります。

本日、

長年習っている古典舞踊の名取試験を終えてきました。


そしてこの度は、

師匠からお名前をいただく運びになりました。


さまざまな経緯がございますが


今年、玉川錦之輔先生は本家にお名前をお返しし、

「玉川流」「玉井流」に変え

家元というお立場で新流派の立ち上げに至りました。


そうして、お名取のお話をいただいた所存でございます。


実のところ私は、

〝名前などいらない〟とずっと心に思っていました。


日本舞踊でいう「名取」とは、

一人前の〝証〟でもあり〝資格〟でもあり名誉な事です。


私にはそのような【ブランド】は必要ありませんでした。


「西山美海」として今後も生きていけばいいと考えていたからです。


しかし、10年以上もお世話になっている師匠のお気持ちを直々に伝えられたとき

お声がけいただいた重みのある言葉とお気持ちに応えたいと思い感謝の気持ちも込めて

お名前をいただく決心を致しました。


わたくしはこの度、

《玉井錦月》

〜たまいきんげつ〜


というお名前をいただきました。


「月」という文字にはとても感動をしました。


てっきり「海」がつきそうだと勝手に想像していたのですが、

先生の頭にファッと降りてきたそうです。


「月」といえば、


私の好きな宇宙の世界でとても魅力的に感じている存在であり


私が卯年でもあることもあり、

うさぎといえば「月」を連想させられますし


大大大好きなセーラームーンは

月を守護にして闘っている戦士です‼︎


なので、とてもとてもしっくりきており

愛おしく思えます。


今後、踊りの会の際にどのように名前を使わせていただくかはわかりませんが、

この玉井錦月の名を大切に背負っていきたいと思いました。


舞踊への意識を高め、

更に更に精進して参ります。



そして今年711日、

【新流派立ち上げ】と【名披露目公演】として

国立劇場にて踊りを披露させていただきます。


皆様、

わたくしの2度目の結婚式(国立出演が2度目)と思っていただきこの夏は是非劇場へ足をお運びいただけましたら幸いです。


周りの方々には

感謝してもしきれないくらい

支えていただいております。














いつもありがとうございます^ ^




















西山美海は、

多くの人たちの光になります。









      西山美海こと、玉井錦月

2022年が終わりを迎えるだなんて


まだ信じ難い心持ちです。


今年は私にとって、

本当に本当に激動の1年でした。


感情が大きく揺さぶられるほどショックな出来事、身勝手な人に振り回される事、


体調や精神面の問題、かなり辛い決断をして、


泣き暮らした日々もありました。


そして思いもよらない喜びや感動があったり


新しい挑戦や試み、


抱えていたコンプレックスの消化など


まるで自分の全細胞が変化したかのようです。


そして多くの人たちとの出会い。


まさか自分が銀座にお店を出すことになった予想外の展開。。


沢山沢山、タカラモノを受け取りました。


おかげさまで私はこれまでの苦しみから解放されて、ようやく自由になれた気がします。


全て、すべてが正しいタイミングだったのだなと思っています。

 


私は昔から、


〝変わり者〟〝ワガママ〟〝じゃじゃ馬〟などなど言われてきていましたが


反面、私はとても繊細だしガラスのハートで傷つきやすく


真面目な根っこもあるので


あるとき、あるひとに

「美海ちゃんはなんでそんなに人と揉めるの?」


「やっぱり美海ちゃんはオカシイんだよ。

普通はそんなに人と揉めないよ。」


と言われ、思い悩んだことがありました。



確かに私はすぐ、人と揉めるのです。



自分を自分で肯定して分析してみると、



きっと私は、、


人に対して全力で向き合っているから、

傷つき、苛立ち、キレるのです。


嘘をつく人、義理がない人、

理不尽な人、偉そうな人、

ネガティブな発言ばかりする人、

学ぼうとしない人、


大嫌いです。


そして、誰かに虐げられたりすること

駒のように扱われること


大嫌いです。



私が弱っている時

私をうまく操り誘導する行為



心がコントロールできそうにないときは

どこかに縋ろうとしたり

焦っていたりするときは

自分の価値を下げるようなことを引き受けたり…



人間は弱い。そんなもんです。



それは全て自分の選択、

自分の責任だと思います。 



そんなときにふと、

自分のなかにある正義に気づいた時


私はその相手にキレて、離れて、

絶縁するのです。



人でも、組織でも、同じ。



ずっとそうしてきました。



だから、いろんな場所を転々としてきたし


いろんなことに挑戦しては辞めたり


とにかく自分に合わないと思った場所からは、

すぐに見切りをつけます。


その見切りをつけられずに

ダラダラと時間を費やしてしまうこともありました。



誰かと揉めるのは、

自分の性格に問題があるのかと

私は私と向き合って考えたけれど…



そりゃあ、、


これまで出会ってきたヒトの人数がめちゃくちゃ多いんだから


悪い相手もいれば、良い人間も同じくらいの数がいて当たり前。



ただ私は、居心地の悪い場所からブチ切れて離れる事実だけに焦点をあててしまっただけなのでした。



だって、


私の表面だけじゃなくて


私の悪いところ良いところ、

もっと深い心のピュアな部分を見てくれている友人や恩師は


10年20年以上も私を見守って大切にしてくれています。


そんな私が

「マジ性格の悪い人間」のはずがありません。笑


だって尊敬するべき恩師、

尊敬するべき友人、

尊敬するべき先輩たちに


良くしてもらっているからです。



そしてこれまで転々としていた先々で出会ってきた人は


なにげなく私の展望を気にしてくださっていたり、


何年にも渡り私の活動を影ながらいつまでも応援してくださっていたりするのです。



空白期間があっても、突然、連絡をくれたり


何年ぶりってほど突然、お店に来てくださったり‼︎



本当に驚くことばかり。



自分が思っているよりも私は、


これまで多くの人たちに支えられてきて、

知らないところで見守ってくださっている人たちがいること


忘れないでいてくれていること。


愛されていること。



そう思うと、感謝しかありません。



感動する出来事が押し寄せて起こっているいま、



私は私のままでよくて

強くなろう強くなろうと頑張ることもなくて


私の持っている正義感は変えなくてもよくて


(たまには疑問を持ってみたりしても)


これまでのように素直に正直に何かと向き合って


言いたいことはハッキリ言って


キレるとこもキレて…


そんな、私で、いいのではないか、と


この年の瀬、思いを馳せています。



お店をあけて約2ヶ月、


不思議なことに


本当に本当に良いお客さまたちしか来ません。


まるで私がお店をパワースポットにしているかのようです。 



最初はあんなにヤル気がなかったのに、、笑


お店をはじめて更に視野が広がり


本来の私の芸能活動にどう活かしていくか考えの幅も広がり


私はいま自分の居場所をようやく掴めたような気がするのです。



この年齢になっても、


なんだか、なるようになる気がするというか


なにかどこかのベストタイミングで、


全てが実を結ぶような


そんな気がしてなりません。


なんだかね、


どうにでもなれる、


きっと流れのままに生きていれば


私の描く夢、会いたい人に会うこと、


叶うんじゃないかなって確信しています。



私がいちばん大事にしている


「ご縁」


結局はコレが全て。



これからもマイペースに、

美海スタイルで活動していきますが



このブログを読んで下さっている、


まだお会いしたことのない方にも


いつもそばで応援してくれている方、


遠くから気にかけて下さっている方、


すべての皆さまに感謝の光を届けたいです。



私の夢は変わりません。



多くの人たちの、光になること。



今年も本当に本当にありがとうございました。



全てを愛し、

全てを許し、

全てに感謝。












今日もありがとうございます^ ^




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西山美海は、

多くの人たちの光になります。



わたくし西山美海は、

先天性脊椎側彎症です。


思春期から6年間のコルセット生活は

地獄の日々でした。


痛くてツラくて、毎日泣いてました。

ずっと、死にたかったです。


高校1年の夏休みをすべてつぶし、

大手術をしました。


寝たきり入院、車イス、立ち上がるリハビリを乗り越え、後遺症と痛みに耐えてきました。


手術は成功しましたが、

そして大きな手術痕。


自分の骨盤を削ったのでそこにも2本の傷。


私の背中には真っ直ぐチタンが入っているので、背中を丸めることや、女豹のポーズはできません。


役者を志しはじめたものの、

弱みだと思っていました。


だけど、日本舞踊に出会って

舞踊なら努力できることの一つだと

光を与えられました。


そして誰かに背中を晒すことを避け

ずっとずっとずっと、

コンプレックスを抱えていました。


だけど年齢を重ねて、

これは私にしかない「個性」だと思えるようになりました。


そんな頃Instagramで見つけた、

AITETADAの作品。


〝このひとに撮ってもらいたい〟


アイテラダの写真の世界で、

私の背中が芸術に変わるだろうと感じました。


すると、強い力で引き合わせるかのように偶然の連続があり

私たちはすぐにコンタクトをとることができました。


作品撮りからはじまり、

私はとうとう、ありのままの私の背中を

こうして曝けるときがきました。


アイテラダは、

私の背中を「美しい」と云いました。


長いあいだ背負っていたコンプレックスは、

なんてちっぽけなものだったのだろう。


歪んだ肩甲骨、位置の違う肋骨、

制限される動き。


銭湯にも行きたくなかった。

プールにも海にも行きたくなかった。


だけど今は堂々と脱いでいます。


私には傷がある。

だからなに。


私は、暗い闇から抜け出せました。


同じ病気のウサインボルト。

ボルトには「ボルト」は入っていないだろうけど、ハンデがありながら世界一の走者です。


同じ病気を抱えている人たち、

苦しんでいる人たち、

この世の中には沢山いるんだと

あらゆるSNSでわかりました。


こんなちっぽけな私ですが、

誰かの光になれますように。



これからもこの先も、

私はありのままの私で表現します。



「This is me 」です。



すべてを愛し、

すべてを赦し、

すべてに感謝。




生まれてきてよかったよ、

お母さん。



私なんて産んでくれなきゃよかったと、

あなたを責めてごめんね。



私はこの魂の入った肉体で、

この世の生を全うします。





(photo: AI TERADA)





いつもありがとうございます。





















西山美海は多くの人たちの光になります。