昨日、

母の施設とオンラインで繋いで

再会。

実に2月以来。

 

8月に、ライオンズゲートの前に

絶対にオンラインで会おうと決めていた。

8月末からまた海外への活躍が続くので

土台をしっかりと、

って気持ちもあったのですが

 

でもとてもとても

緊張していたんです。

 

施設でどうしているだろう

という気持ちもあり

 

LINEで時々会話する

レベルだったので・・

 

でも。

 

想像を絶するくらいに

母は元気でピカピカで

穏やかな顔をしてて

驚くほど

いろんなこと覚えてて

 

え?認知症って

嘘だよね

くらいの感じ・・。

 

また

憑き物が落ちたように

穏やかな顔をしてて

 

ずるいね

ずるいね

 

 

あんなにお金に無心してて

生活が破綻していた母だけど

 

今はストレスも

きっと何もない状態なのだろう。

欲があんなにあった人なのに

 

 

何か欲しいものある?

って聞いたら

 

なーんにもないよ。

プリン食べたいかな。

 

って。

 

 

 

まりちゃん

ショート似合うね。

 

まりちゃん

頑張りすぎるから

体に気をつけてね。

 

と言われて

それ、小さい頃から

 

頑張りすぎるな

と口癖だったよね、と。

 

 

 

だけども私は

母に湿っぽい感じを

見せたくないので

 

あえてずっとテンション高く

ガハハと笑って

 

鈍感な私的な自分を演じて

いたけれど

 

zoomを切ってしばらく大号泣。

 

 

 

思えば

ずっと長女気質で

 

大丈夫なふり

ばかりしてきたな、私

 

そして

最後までずっとそうなんだろうな、私

 

 

 

思えば

母がお金に翻弄されなければ

常に私を愛してくれていたし

それが依存にさえならなければ

ずっといい関係性でいられたと思うのだけど

 

それももう

過去のお話

 

 

感謝しかない

 

感謝しかないなと

 

 

 

思わずに入れなかったのでした

 

だって

 

私が生きているのは

母がいたからで

この命と

この

ポンコツだけど

なんとかなってる人生は

 

頑張って一人で切り開かねばならない

環境だったからこそ

そういう家族だったからこそ

 

培っているもので

 

 

もう

感謝しかないんだ。

 

と思うと

 

泣けて泣けて。

 

 

 

今は私は

2人部屋だけど

毎日楽しいよ。

 

と言ってた言葉で

どんなに救われたか。

 

 

 

 

たすけて

 

とLINEがきた2021年の2月8日。

 

 

荒んだ生活のあの熊本の部屋で

脳梗塞に倒れた母を

なんとかしなきゃと

福祉を頼り

いろんなことを泣きながら

やってきた昨年。

 

 

 

そして今

 

母も妹も

施設で

いるべきところにいて

安心して暮らしている

 

 

1年半が経過し

 

 

こんな日々が待っているとは

思わなかった。

 

 

すべては

最初に繋がった

民政員さんの

 

ガーディアン谷口さまの

おかげでもある。

 

でも

 

そんな方に出会ったのも、

運命のような気がする。

 

 

 

 

もう

私は

自分の人生を

死ぬ瞬間まで

気にせず、とにかく

 

感謝をしながら

耕していくだけ、って気がして

 

スーッとした日。

 

 

 

私の家族は

色々ありすぎて

本当にジェットコースターのようだったけど

 

家族という呪縛

長女という魔法

 

少し

解けている気が、しています。

 

 

 

はじまりがあれば

おわりがある。

 

必ず

そこに光は見えてくる。