昨日、ユニクープーのゆきおばと佳子おば

がきてくださり、

くーちゃんのお見送りをしました。

火葬、そして

ちっちゃな骨壷になったくーちゃんは

魂はそこにないけどね、

と言ってるようでした。

しっかり

亡くなった夜に

ゆきおばのところに行って

小さなむき餌を落としているあたり、

しっかり最期までお礼を忘れない

気配りのくーちゃんらしいな、と。

 

くーちゃんと私のことについて、

じめじめ長く書いてもご迷惑だと思うので

ここで長くなりますが

私とくーちゃんの歴史を書いて、

私も前を向いていきたいと思います。

 

 

くーちゃんありき、

の12年でした。

 

私が

まだ福岡と東京を行ったり来たりしてる

頃、私は黄色インコさんのももちゃん

という子とピノちゃんと暮らしてました。

まだ、広告の仕事でどっぷり

バンバンコピーライターとして活躍?して

いた頃です。

ある日、会社に出かけようとすると

ももちゃんが、かごから出してと言います。

朝なのに?

珍しいな、とかごから出すと

私の手にすーっと飛んできて

そのまま、亡くなりました。

この時の衝撃、今でも忘れません。

 

私はそのまま会社には行けず、

2日ほどダウンしてしまったのを

覚えています。

ペットロスがひどくて

立ち直れないけれど

仕事が激務で

どんどんやせていく私に、

その時の彼が、

もう一人お迎えしたらどうかなと。

P2さんにいるヒナちゃんがいる

ケージの写真を送ってくれました。

いやいや・・今の

私にはももちゃんの代わりはいないんだ。

と、否定的にその写真を見た時・・・

たくさんのひなが

こっちを向いている写真の向こうに、

我関せず、ともぐもぐ

ご飯をひたすら食べてる青い子がいました。

 

気になって

P2さんに行くと、

 

やはり、

みんなが口を開けて

ピヨピヨという中で、

 

ひとりだけ

ご飯に向かいもくもくと食べてる

あおい子が。

 

私、この子お迎えしたい。

 

それから

我が家に最初に来た時、

その青い子は

 

ぱっと箱から出ると

タタタタと走っていきました。

え?

と目を丸くしてみていると

 

ももちゃんの骨壷に

行くではありませんか。

 

骨壷に向かって

何やら話しかけて

うんうん、とうなずく青い赤ちゃん。

 

それから

私に向かってとことこ走ってきて

突然私の手にダイブ、そして

袖にもぐっていったんです、笑

 

彼が名付けた

くーちゃん

という名前はすぐに覚え

くーちゃん、とまず喋り出し

それから

たくさん言葉を覚える可愛いい

男の子に育ちました。

私は、その頃キャリアの飛躍の時で、

東京の外資広告代理店に

ヘッドハンティングされ、

東京に本格的に行くことを決めました。

くーちゃんは、

その半年前に私のところに来たので、

まさに、そこからの怒涛の東京人生の

はじまりの家族になります。

 

東京に赴任してすぐに

311がありました。

私はあの時、

会社の39階で船酔いのように

揺らされていましたが

頭の中はピノクーでいっぱい。

もう気が気ではないので、

今日はここで泊まっていこうと

いう同僚を押し切って、

歩いて帰宅、

マンションで焦ってドアをあけたら

傾いたカゴの中で

2人は騒いでいました。

 

マンションがガス漏れの可能性あり、

住民は全員一回避難してというアナウンスで

私は鳥籠を抱えて

スマホと鳥籠以外何ももたず

築地本願寺へ。

 

 

その時の状況が悪いことに

全国放送で流れてしまい、

大きな鳥籠抱えて

配られたおにぎり食べてる黒い髪の女

として

ドアップで放映され・・

福岡の元同僚たちから

LINEがたくさんきたのを覚えております。

 

その12年弱は私の人生においても

ターニングポイントでした。

大きな海を泳いでいるような。

 

その12年で

大切な恋愛も終わり、

私は外資の広告アワードを

とるために必死で

何かに取り憑かれたように

アイデア企画を連日考えては

制作し、考えては制作し

 

苦しみの中にいて

メンタルも弱り

正直、

もうダメかもと何度も思いました。

家族のことでもお金の無心から

絶縁状態へ、でも

家族へはお金の支援をしたり

などなど波乱に満ちていたんです。

ただ、キャリアだけは確実に積まれていく。

アワードを取り、

ちやほやされたり、

全くとれずに

自己嫌悪になったり。

海外への出張のために

英語を必死で習得したり。

 

ただ、

人生で一番大好きだったアートに

再び向かい始めた時、

人生がミラクルに輝きだしました。

新しい旅のはじまり。

 

正直、

そんな人生の中で

 

くーちゃんが私にとって

一番大切な、

パートナーのような存在でした。

 

私が部屋で泣いていると

くーちゃんは

そっと来て

ありがとう、だいじょぶーまりちゃん

 

と必ず言ってくれます。

そして涙をぺろっとしてくれたり。

 

ただ覚えた、ではなく

おそらく状況をわかって言ってる

まるで人間のような子だったのです。

 

海外へ出張の時はいつも

もっとゆっくりしてくればいいのに

という声をよそに

ピノクーがいるから、

と早く帰り

 

どんな時も

生活の中心に

くーちゃんはいました。

 

7歳くらいで

甲状腺の病気になり

病院へ行くようになり、

毎日気が気ではない日々。

 

さらに昨年、

嘔吐をはじめ

三ヶ月の通院。

 

吐いても吐いても

がんばり

私のそばにいようとするクーちゃん。

5年前に旅立ったピノちゃんのことも

とても大切にしていたクーちゃん。

気が強いピノちゃんに噛みつかれても

まったく反撃もせず、

老齢のピノちゃんが転んだら

私に教えに来てくれたり

 

ユニコちゃんが加わると

ピノとユニコが

おうちに入るのを

見届けて

自分がお家に入る、

みたいな気配りがあったんです。

 

ユニコが甘えている時は

私に全く寄ってこないで

我慢して、最後にくる、みたいな。

 

 

昨年の夏、

お医者さんも驚くくらい

復活したくーちゃん。

 

まわりのみんなも

奇跡だね?

すごいねくーちゃんと

言ってくれました。

 

私は母のこと妹のこと

とても大変な時期で

心が疲弊していました。

 

今思えばくーちゃんは

部屋で沈んだり泣いたりする

私を誰よりもみていたからこそ、

 

今自分が

逝ったらまりちゃんがダメになる

と思ってエイッと体をキープして

くれたのではと。

 

そして今年、

体調絶好調のまま

2月。

私が奇跡的に

病院の母に会えたり、

福岡を久々に満喫したりして、

 

帰ってきたのを

見計ったように

体調を崩しました。

 

私は共感覚なので

色が見えます。

 

福岡から戻って数日後、

 

あれ

見間違いかな?

と思ったのは

みまちがいではありませんでした。

くーちゃんのオーラがほたるのように

消えたり光ったり

そして

弱くなっていたんです。

それを見た翌日からくーちゃんの

体調は激変。

予感は的中してしまいました。

 

不思議なことはあるもので、

1月まで

スマホのポケットにあった

くーちゃんの診察券が忽然と消えました。

あれ?おかしいな

落とすはずもないけど

とどんなに探しても出てこない。

 

小鳥の病院さんで

また作ってもらう時

この時も嫌な予感はありました。

 

あれ?

もう必要なくなるよってメッセージだ

と・・。

でも自分の中で

いやいやと消してしまったんです。

消したかった。のかな。

 

その後の経過は

先日ブログに書いた通りなのですが

 

亡くなる前の1週間

必死で病院に行き、

毎日眠れず

毎朝くーちゃんの体調を気にして

苦しそうな姿に

自分が変わってあげたいと

心から思い

 

手の中で死んでいく瞬間まで

とても濃い、時間でした。

 

 

命が消える瞬間、

ものすごい力が出るんですね。

体は全くうごかないのに

食べる気力なんてないのに

私が作ったおかゆを

くーちゃんは一生懸命

食べました。

いや、食べようとしてくれました。

 

動かなくなっていく羽根を

そして足を広げて

私に登ってきました。

 

そして

時々口元に

くちばしを伸ばすので

キスをしました。何度も。

 

大人になってから

他の子を気にして甘えて

こなかったくーちゃんですが

あんなに私に甘えてくれたのは

赤ちゃんの頃以来です。

だっこしてと甘え

ずっとそこにいてと甘え

最期まで

まりちゃんの手の中にいたいと

必死で

 

最期

キューと泣いて

うっすら涙が出たのを見ました。

そのあと

羽と体がぶるぶるっと

痙攣して

魂がふわっと浮かんだのを見ました。

まるで光の龍のように。

 

魂が抜けた後の体は

とても軽いのです

おどろくほど軽いのです。

 

魂の重さは

すごいんだなと

変に感心したり

しに行く前の

体と魂の片鱗を

見たのは初めてだったので

 

本当に

本当に

 

哀しいけれど美しい美しい

時間でした。

 

他の子と比べるつもりは

まったくないのですが

 

くーちゃんはそんなわけで、私にとっては

ある意味、命でした。

 

くーちゃんありきで

いつも生きていたから

そして

海外いても常に

くーちゃんの

ことばかり考えて心配していたから

 

 

その身体を失って

 

今は

どうしていけばいいのか

 

私もわかりません。

 

くーちゃんにすがるように

叫ぶ

ユニコ

そして

まだ2歳にもならないので

わかってないけど

気配を感じてるプーちゃん

 

2人の女の子を育てていかねばですが。

 

 

私、

4月のニューヨークは一回延期にして

行くのをなんとかしてやめようかなと

思ってました。

くーちゃんの通院があるし

こんな状態だと行けるわけないし。と。

 

 

でも

くーちゃんはそんなことも全部

お見通しだというように

 

2月28日に去った。

 

 

これからは

僕も一緒にニューヨークだよ

と言ってるような。

 

くーちゃんありき

の毎日を

一回やめて

どんどん世界に飛んでよね

と言ってるような。

 

 

 

最後に

くーちゃんのことで

全身全霊で

 

頑張ってくださった

小鳥のセンター病院

(池袋・川口)

の院長先生、中川先生、

看護師さんたち。

 

ありがとうございました。

 

 

 

小鳥でしょ?

感情なんてあるわけないじゃん

とか

ペットはお人形的な考えの人も

中にはいます。

 

でも

 

 

こんなに愛に満ちて

本当の愛とか感謝を

教えてくれる

存在は

 

人間をはるかに超えている、

と私は思うんです。

 

 

くーちゃんがいなかったら乗り越えて

ここまでこれてなかった12年。

 

 

 

そして私は

きっと

 

ここから

 

飛躍するのだと、思います。

 

哀しいことのあとには

素晴らしい嬉しいことがあるのが

セオリーだから。

 

 

ユニコが

カゴの中で何かを目でおいかけている。

 

くーちゃんたら、

飛び回っているのね。

 

 

 

 

さ、

 

じめじめ終了。

 

かな。

 

 

長々読んでくださり

ありがとうございました。

 

 4月、

くーちゃんと

セントラルパークの

桜を見れてるかな。























 

 






ゆきおば、けこおば

がきてくれて、滞りなく火葬。火葬屋さんが、こんなことあまりないよ、というほど頭と胸の骨が残っていて最期まで立派なくーちゃんでした。ありがとう。

ずーっと一緒だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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