教会をやめようとしていた頃の話です。
清平のワールドセンターではなくて、地域の教会でやる祝福式が予定されていた時の事。

前の教会長の時は人数が揃わなくて実施されなかったのですが、新しい教会長になってから伝道活動の体制見直しがされて活発…というか前より厳しくなり、押せ押せな感じで祝福式参加者が決まる中で、韓国人の婦人が教会の全体連絡版に上げていた意見が「今までに伝道して教会に通っている人達よりも最近伝道したばかりの人達を祝福式に参加させる事を優先するのはどうなのか。基準はどうなっているのか?今後の教育はどうするのか。教育できないのであれば、単に祝福を受けただけで終わってしまうのでは?」というものでした。
同感だと思いつつ、教会の中の日本人と韓国人の温度差も感じました。

私は地域教会で行う祝福式と、現在清平で行っている祝福式の明確な違いはわかりません。ですが独身で教会にいた時、祝福を受ける為には基準だの条件だの厳しかったのです。受けたいと言ってもなかなか申請書類を書かせて貰えなかったりもしました。それが地域教会の祝福式となるとハードルが下がる感じ…。既成家庭が多いからなんでしょうか?

教会の中の温度差も、日本人教会員は数や実績を優先する傾向があるのかなと。心(信仰)が置いてきぼりみたいな。今までノルマや目標設定などで教育されてきたから仕方ないと思います。でもそうやって人を集めても、残らなかったら意味がない。韓国婦人の言うことはもっともで、信仰を育てていかないと教会は先細りになっていくだけだと思います。

とはいえ、今となってはその信仰の元も怪しいものだし、教会は一旦潰れたらいいとさえ思っています…。