ストーマを付けたあとの自分の気持ちが想像できないことも、ストーマを付けたくない理由の一つでした。
 
多くの人がそうでしょうが、ストーマを自分のこととしてリアルに考える経験をしたことなんかない。
 
嫌に決まっている。
だけどそのなにが嫌かを論理的に語る言葉がみつからない。
脚の切断ならドラマや映画や漫画で見たからわかる。我が身に起こればどういう葛藤とジレンマを経て受け入れに至るか、なんとなくわかる。嫌ではあるが、受入れるしかないならそうするしかないと、わかっている。
 
でも
 
ストーマは?
 
どんな気持ちになるかまったくわかんないよ
 
という状態が手術前のワタシ。
 
事後、となった今。
ワタシはどう考えているのか?
 
手術の当日は動くこともできなかったから看護師さんに「その」仕事をしてもらいました。
料理に使うような五百ccサイズのビーカーに、お腹の中の液体を袋の底に空いた穴から排出する。
 
出てきたのは、百ccほどの液体。
 
私は無意識に呼吸を止める。
この時点でネガな情報は何ひとついれるべきでないと私はわかっている。
匂いに関するネガティブインフォメーションを、昨日生まれたての新エミコの脳は、欲しがってない。
 
だけど杞憂というものでした。
私のストーマちゃんは回腸にあります。
そのあたりをさまよっていた食物の残渣たちは、その後、それのアイデンティティーともなる特有の匂いをまとってない。
 
知らなかったけど、これは私にとってじつにラッキーなことでした。
 
ここで、不思議な気持ちになりました。
 
気がついたのです。
 
乳幼児のときをのぞいて、私は「それ」に対し、好ましいものの正極にあるものという処し方、対し方を一貫してやってきた。
なのに、
今日の私は、
すごくフラットに「それ」を見ている。
 
身内意識? 仲間意識?
 
イヤな気がしないのです。なぜ?
 
何が私に起こったのでしょう
 
 
2日目。
看護師さんと一緒にトイレの個室に入りました。
 
私はパジャマを着たまま便座に接するように置いた椅子に座りました。
看護師さんが、私のストーマ袋から内容物をトイレに棄てるのを見守りました。
 
またしても人生で最初の体験。
このようなシーンで、私はどんな気持ちになったか。
 
一種の快感がありました。
排泄の快感ではもちろんない。
私は今排泄したわけじゃないし。
 
腹に創設された新しい排出孔に高機能テープで取り付けたナイロン袋に貯留した回腸の内容物をトイレに廃棄しただけだから。
 
快感というのが言い過ぎなら、見たことのないものを見る楽しさ。
私は次々に看護師さんに質問しました。
いつものこと。
好奇心が湧いてきてワクワクしてくる。
 
あたしは面白がっている
 
とおもいました。
 
何時間か空けて2回目のトイレに行きました。
今度も看護師さんと一緒に。
 
 
消灯時間なので続きはまた
 
 
 
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