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去年は東京から熊本に住み移った年という、私にとってはものすっごい節目の年でしたが

今年は、震災後に熊本をはじめとする九州に住み移ったものすっごい多くの人に会えた年でした

熊本にすみうつった人に、「なんで熊本だったの?」と聞いたことはないですが
聞かないのは、そういう理由って、あるようで実はないことが多いと思っているからです

自分自身も、移住の理由はけっこんです、と一応は言いますが、それは嘘ではないですが
ほんとのほんとは、なんだったんだろう

仕事を変えるきっかけが欲しかった?
コンクリートに包まれて暮らすのをあと10年続けたら確実にボケるな、と思った?
熊本はあったかそうだというイメージ?

どれも「そうかも」といえますが、ほんとの理由は自分でもわかってないです たぶん


今年、九州に移住してきたたくさんの人たちを見て思うのは

移住という大決断が、職業的な見通しをもった上での決断ではなく
体をうつした先で出会うモノゴトやヒトに化学反応をして、新たに出てくるじぶんを信じて
未来の自分におまかせして、やってきたんだなあ、と思わせる移住の人が多いってことです

すごく面白い時代になってるんですねえ

20世紀だったら、移住した先で何をして収入を得るかが何より先にあったと思うけど
そんな手ぶらで身一つでやってきて、いったいどうやって・・・

なんてオバハンの心配は無用なのです


きのうは近所の農家よめと忘年会をしました

園主は女たちの宴に遠慮して顔も出さなかったですが、

薪ストーブで焼いたほくほくの里芋とかかぼちゃ(両方とも大好評!)を差し入れたり
膨大な鍋や皿をわたしが飲み騒いでいる間に洗っててくれたり、
お友達の眠るおふとんも敷いてあったりして・・・・

(なんていいダンナさまでしょうーーーー)


熊本にきてしまった私って、ほんとに運がいいなーと思います
だって
わたしは園主と出会うまで、熊本にアイも興味もまったくなかったです
九州のなかで、鹿児島と福岡だけが好きで、あとは・・・だったんです

好き嫌いだの好みだのは、まったくアテになりません
だから

何かにであってその化学反応でまったく違う自分、違う人生になってしまうこともアリという
移住の考え方は、ものすっごくOK、おおいにOK、だと思うわけです


写真は、今日となりの牧場のひとのとこで行なったもちつきの様子
薪でもちごめを蒸しますが、このセイロは50年以上使っているそうです
去年もここでもちつきをしましたが、まったく上手になってないわたしです

「もちつきは、年に一回しかせんからなあ、去年なんしたかどうやったかよう覚えとらん。もちつきがやっと上手になるころ死ぬとやなあ」と牧場のひと

ゆうごはんは、「からいもぼたもち」でした
さつまいもともち米をついて、お餅状にしたのをきなこをまぶしていただきます
アンコつけてもおいしいけど、わたしはキナコ派です