コロナによる撮影中断や話数変更の脚本変更など大きな逆風の中で放送された大河ドラマ『麒麟がくる』。

全てが終わったので少し感想を書いてみたい。

○全体としてどう感じたか
大河ドラマ『麒麟がくる』は、新しい人物像を模索しながら今までとは違う「明智十兵衛」という男を描く試みだった様に感じる。

史実としても明確な出自がわからない事もあいまって、美濃での行動はかなり自由に描かれていたし、美濃で明智光秀の根幹が形作られたとみせる脚本だった。
「十兵衛」や「帰蝶」の呼び名を最後まで使い続けたのも『美濃』の繋がりが強いのだとみせる意図だった様に思える。

「十兵衛」は太平の世を夢見て、主君を支え、道を踏み外した主君を討った男だったとした。

今までに無い人物の描き方はしているが、最終的な着地点は従来の説に依ったそんな作品だった。

では、個人的な評価はどうなのか。

私はあまり好みではない作品だった。


○好みとは違った点
2つある。

①帰蝶(鷺山殿・濃姫)との関係
ここは本当に好みの問題です。
鷺山殿に関しては正直資料に乏しく、ほぼわからない人物です。
創作物で『道三に勝るとも劣らない胆力がある女性』と描かれることが多く、今回の『麒麟がくる』でも信長を導き、そして討つよう仕向けたフィクサーの一人として描かれています。まさに「女道三」といった政治力を発揮しています。

この政治力についてはあまり文句はないのですが、十兵衛の事が好きだったとか輿入れを止めて欲しかったというのは流石にやりすぎだと感じてしまう。

十兵衛を中心に描く為か信長の無邪気さを全面に押し出した脚本になっており、帰蝶と十兵衛で無邪気な信長を操り天下取りをさせ、二人の責任で信長を粛清したという存外狭い話になってしまったのだ。

帰蝶(鷺山殿)は誰よりも信長を殺そうと考え、誰よりも信長の理解者であったという古い小説にどっぷり浸かりすぎてしまっているのだと、違和感を自覚した時に痛感させられた。
常に十兵衛を頼り、未だに想っているかの様な描写があまり好きになれなかった。


②『駒の薬屋見聞録』の是非
そしてこちらは結構突っ込まれていた、架空の人物についてです。
正直、帰蝶も中身はほぼわからないので架空の人物が登場すること自体は何ら問題はないと考えています。

たた、話した『麒麟』が「十兵衛」に強い影響を与え、将軍と懇意にし、多くの大名に関わる町娘という設定に無理があったように感じてしまう。

「駒が実は忍者で情報集めをしていた」ならばまだ大名との繋がりとかはわかるのだが、心が綺麗な薬屋の女性と描かれる。
町娘でしかない彼女が強く物語を引っ張るのだ。

流石にこの違和感は帰蝶の比ではなく、数年後を描いた最終回ラストも将軍に会い会話を楽しめる立ち位置に居る。
そして、人違いか幻覚かはたまた本人かわからないが、「十兵衛」が彼女の前に姿を表すのである。

わざわざあの描写を入れたということは、十兵衛にとって駒の言葉がどれ程大切だったかを示すシーンと言える。

さながら、『駒の薬屋見聞録』という時代劇ライトノベルのヒロイン駒の物語を見せられている感覚に陥ったのだ。

この違和感は常にあり、最終回で爆発した。
ファンタスティック大河『江』以来の違和感でした。

○それでも試みは面白い
好みではない点はもう少しあるのですが、大きいのはこの2つ。
それでも一年間観たのは、挑戦した描写が多かったからだ。

座り方や色彩、信長のキャラクター性や資料が無い部分を逆手に取ったドラマ性の付与、最新学説ばかりに捕らわれないで最終的には従来のわかりやすい動機付けなど色々な試みがちりばめられた作品だった。

好みとは外れましたが、やはり戦国最大のミステリーに繋がる主要人物たちの心の動き等はとても楽しめるものでした。
惜しむらくはコロナによる予定変更で描写不足や駆け足にせざるを得なかったことでしょうか。

大河ドラマを久しぶり一年間観ることが出来たのは作品に力はあったからだと思います。

また楽しい大河を期待したいですね。