今クール一番期待して観ている作品が『戦翼のシグルドリーヴァ』です。
他にも『おちこぼれフルーツタルト』や『ニジガク』は楽しみにしていますが、やはりオリジナルアニメにはテンションが上がるものです。


さっそくですが、七話までの感想を書いてみたいと思う。

◎重たさと足りない描写
正直に言えば、『おしい』という感想。

キャラクターは可愛いし、終末に向かう世界観も好きだ。機体のかっこよさや台詞回しなんかも良い味を出している。

ただ、圧倒的に『重たさ』が足りない。

前日譚である小説『ルサルカ上下』や『サクラ上』にあった絶望に抗う人々の強さみたいな物が見えてこない。
正確に言えば、三話のストーリー等から世界観の掘り下げや戦う人々の想いは出ている。しかし、小説の時に感じた絶望とその闇を照すワルキューレの尊さ、そして歩みを止めない人々という強さが表されていないのだ。

この原因はネームドであるクラウディアの凄さが描写出来なかった事に尽きると私は思っている。
一話と二話の空戦でヴァンドランデを感知したり、反撃にいち早く気が付いたりと片鱗は見えるのだけど、宮古達との決定的な実力差が描写されることは無かった。
空戦でのネームドの孤独が表されない中で、『ちょっと抜けたお姉ちゃん』クラウディアが心を開いていってもカタルシスはない(微笑ましいし好きな描写は多かったが)。

無駄な話があったとは思わないが、『死神』を克服するだけの空戦が無い中で宮古達と仲良くなりすぎた為、ネームドがどれだけ凄いワルキューレで、『死神』の孤独がどれ程心を壊したかが伝わらないのだ。

そうした中で始まったのが富士ピラーに対する一大反攻作戦である。
各国のワルキューレを集めたオールスター戦であり、中盤のめちゃくちゃ盛り上がる話であるはずなのだが、ネームドの凄さが伝わっていない中で集められてもどれだけ凄いのか伝わらない。

小説を読んでいるファン(私)ならば、『リズとリリーだ!』とか『アルマはまだルサルカを恨んでいるのかな?』とか『やっぱり桜は墜ちたんだな』とか『晃がいないってことは…』みたいにかなり楽しめたが、アニメのみの人がこの集まった人をみて感じる事は『クラウと同じS級のワルキューレ』という事だけ。

戦闘開始の六話まででクラウディアと宮古達の能力差が描写されていたら、『この反攻作戦の参加者は凄い』と素直に思えただろうし、元ネームドの弥生が自らの命を犠牲にして現役ネームドを生還させた『価値』が色濃く伝わったはずだ。

『シュヴェルトライテ』であるネームドのクラウディアを『館山の食いしん坊』クラウとして描きすぎたのだ。

日常の軽い描写が戦争の重たさを鮮明にする事は往々にしてあるし、表現としても説得力がある。
だが、シグルドリーヴァに於いては、この【軽さ】が悲惨な結果となった富士プライマリーピラーへの反攻作戦の【重たさ】を際立たせる効果ではなく、【重たさ】を伝える邪魔になってしまった。

例えば六話までに、館山で『死神』の影に怯えながら圧倒的な戦績をクラウディアが上げていて、宮古がグイグイ来ることで少し絆されてきた状況でこの反攻作戦を向かえ、敗北とリリーを失っていたら全く悲壮感は違ったはずだ。
そして、作戦に参加するクラウディア達S級との実力差に『宮古とこのまま一緒に飛び続けることが出きるのか』を悩むアズズやわだかまりから冷静になれなかった『最年少ネームド候補の未熟さ』を痛感し姉を失いたくないと泣く園香が際立っただろう。
全体をみてフォローに回る宮古の姿に涙が流れたかもしれない。

失敗した反攻作戦に感じる悲壮感が、ピラーを退けギャラルホルン作成に成功したヤドリギ戦の悲壮感に全く敵わないのである。失敗した作戦の悲壮感が成功した作戦の悲壮感を上回れないのは致命的だろう。

そして細かいことだが描写が足りない。
一例だが、リズが持ち帰ったペンダントも、小説の様に一度でも弥生が空中で物を投げたり受け取ったりした描写があれば『盃みたいに空中で渡したのかな?』とか思うのだが、それがないとどうやって回収したのかさっぱりわからないってなってしまっている。

最高の材料はあって、調理も悪くないのだけど、最後の味付けと盛り付けがあんまりうまくない。

だから『おしい』と始めに書いた。

後半で私なんかの感想をひっくり返す作品に化けてほしい。
あとクラウディアとルサルカの二人を推しているのでもっと凄い所を見せてほしかったという願望も含まれてます苦笑